よもやまに思うはなし。
先日某ギャラリーのオープニングパーティで、Uさんと話をした。
僕は長らく舞踏という身体表現の世界にたずさわっていて、くだんのUさんも作曲家であり、また舞踊家でもあって、僕とUさんは今年の十二月に、二人で舞台を企画しようということになっていた。
僕とUさんは軽食とアルコオルをとりながら、十二月の舞台の話をした。
Uさん曰く、いまUさんは「土」がテーマだという。
舞台を創作するときは、そうした印象がとても大事で、僕は「土」という言葉から、「風土」ということを連想した。そして当然ながら、「風土」ということで、「沖縄」のことも話をした。
先日高橋哲哉さんの講演があった時、Uさんも来てくれていた。
僕が沖縄の基地問題にたずさわっていることはUさんもよく知っていて、だから僕の舞台イマージュのなかにも、沖縄のことが織り込まれていくだろうことは、彼も感じてくれていた。それだけに僕も、まだ熱するばかりで煮え切らないような、自身のイマージュを取りとめもなく語り、そうして語る自身のイマージュのなかに、Uさんのいう「土」のイマージュが、ある種の質量として、重なり合うような心地がした。
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僕自身、元来こうした抽象的イマージュの世界の住人で、ある種政治的でもあり、ある種リアリズムでもある社会活動にこうしてたずさわるとは、沖縄の問題と出会う前は露とも思わずに、ときどきは自身の立ち位置の不可思議さを思ってみたりする。多分今の日本の社会に対し、思春期からこの方、何がしかの違和感を感じていたことは事実で、それだけに中国へ武術を学びに行ってみたり、近代以前の文化に関心を持ってみたりしてきた。自身のアイデンティティを、そうした古いモノや、何か資本化される以前のものに見出したい気分があったのだ。
最近、こうして沖縄の基地問題にたずさわってみて、思うことがある。それは沖縄に対し、僕自身が日本人であることを意識しているという事実で、それは沖縄の声と向き合うことで生じた新しい感覚でもあって、本土人でもあり、ヤマトンチュでもあり、沖縄人からみたら、植民地者でもある自身のポジショナリティを意識しているということ。
はじめて沖縄の勉強会に参加してみて、その当時僕はまだ沖縄の声を受け入れていなかった。また昨年の十二月に野村浩也さんの話を聞いた時も、日本人が植民地者であるということは、すぐには理解出来ていなかった。
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柳田國男の「雪国の春」という著作の中に、下北半島の地、本州の北端まで稲作と祖霊信仰が行き渡っていたという、日本常民が古代から連綿とした民族意識を共有していた、そんな印象を与える文章があって、赤阪憲雄氏がその幻想に否を唱えている。
もちろんユーラシア東端のこの列島には、数多くの民族が住まい、室町の頃はまだ、東北は異民族の地であったに違いなく、日本国という意識は、北一輝が分析するように、明治政府の作為的政策であったかもしれなくて、前近代にアイデンティティを求める僕としては、日本という国や、国民という意識が幻想として創られたモノのように夢想したりもした。
民俗学のなかに、「常民」という概念が定着しないように、日本人のなかでは、日本国民という意識も不確定な「仮定」であるのではないか。
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民俗学をメタファーとした以上のセンテンスは、もう少しちゃんと掘り下げるべきかと思う。けど僕が言いたいのは、日本という幻想の「雪国の春」は、ポツダム宣言を受け入れて以降、ある種のリアリズムを自身に負ったのではないかということ。また、それを負いきれてはいないのではないかということ。
それはたぶん、沖縄の声に応答できなかった自身は、いまだ前近代にアイデンティティを求めていて、日本国民という意識は、かつて「黒船」に押し付けられたなにか本来の自分ではないなんて、学生めいた気分でいて(それはどこかで大人になりきれなくて)、けど敗戦を七十回も繰り返しながら、ヤマトという幻想の国は、こんなに身近に「琉球」という他者を持ちながら、いまだに羊水のなかの胎児のように、沖縄を自己の一部と同化させている。
それは日本人(国民)という意識の、歴史的な曖昧さもあって、ヤマトンチュはそうした逃げ口上の洞穴に、いつでも隠れていて、自分たちの国民意識は、やっぱり「黒船」に押し付けられたままなのかもしれない。
否。
僕は最近はそんな逃げ口上にも辟易していて、あんなに悲惨な戦争をして、ポツダム宣言(近代)という割礼を受け入れて以降は、僕たちはもう子供ではなくて、歴史的に「琉球」という他者を列強に倣って植民地としてきた事実と向き合って、今現在も、自分自身が植民地者であることを自覚しないといけなくて、僕は沖縄の基地問題にたずさわってみて、黒船から今を、そんな風に感じている。
明治から百云十年、もう一度歴史を肌身で問い直すことによって、本来あったであろう極東の多様性を、新しい地平から眺めることが出来るかもしれないと思い、そうする事で、ヤマトと琉球は、お互い真に独立した他者として、できうれば、旨いアルコオルを酌み交わせる様になるのかもしれない。
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ギャラリーにていつの間にか一人、アルコオルに酔いながら、自分勝手なイマージュが、二滴三滴と杯の上にこぼれている。そんなよもやま話し。
おしまい
(に)
※写真は舞台写真