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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

ナポレオン50-決戦敗北そして崩壊

2021.12.14 09:22

1813年10月17日、ライプツィヒの戦いが始まった。多勢の諸国連合軍は、南北から包囲攻撃を仕掛けるが、仏軍は反撃して互角。しかし17日にスウェーデン軍が到着すると、連合軍は30万人に膨れ上がった。18日の決戦では仏軍奮戦途中、ドレスデン軍が仏軍大砲をもって敵陣に寝返る、これで勝敗は決まった。

この戦闘は、第一次世界大戦以前最大の戦闘だった。ここまで大きくなるとナポレオン得意の機動戦は使えない。ただ双方の力のぶつかり合いであり、双方計10万人の死者を出した。これは欧州の戦いが、フランスだけでなく、国家総動員戦になったことを意味していた。

この敗北で、ドイツに駐屯するフランス兵は皆降伏する。ライン同盟も連合国側につき、さらにナポリ王国の義弟ミュラ元帥が裏切る。裏切らせたのは、皇帝実の妹カロリーヌ妃というから恐れ入る。英西葡連合軍は、すでに南仏に侵攻していた。もはフランス防衛しかない。

フランスに侵入した連合軍兵士は、仕返しとばかり町々を略奪し、女性をレイプした。ウェリントン将軍は「ナポレオンは、小さな防衛戦すら戦う資質を持っていなかった」と述べている。交渉するチャンスはあったが、彼は自分の力に奢ってそれを断った。いよいよ帝国の最期である。