イスラム誕生3-聖戦・ジハードという思想
2017.07.15 12:18
イスラムはアラビア半島を統一、二代目カリフ、ウマルのもとで、東ローマからイランの領土に広がっていった。このときから現れるのがジハード=聖戦、つまりイスラムを世界に広げる戦い、という思想である。キリスト教においてはコンスタンティヌスはあくまでローマの領土内であり、宗教がメインとなって他国に侵攻するというはっきりとした思想はそれまでなかったといえる。しかしイスラムは「剣か納税かコーランか」というように、商売人らしく、納税すれば「アブラハムの宗教」は改宗せずに済んだ。
イスラムは635年にダマスカスを占領、ササン朝も東ローマも長期のお互いの首都を取り合う激戦の直後だけに、全く余力をなくしていた。しかし皇帝ヘラクレイオスは、シリアに出陣するが、統一されたイスラム兵に対し、東ローマは急ごしらえ感が強く、指揮も混乱し、636年ヤルムークの戦いに敗北した。
皇帝は「シリアよさらば、何とすばらしい国だろう、敵にとっては」と言ったと言われている。この後皇帝は病いに倒れ、イスラムの進出を見ている他はなかった。イランも国が乱れ、642年に滅亡した。
イスラムは、東ローマが支配を失っていた北アフリカに伸び、661年最初の世襲王朝であるウマイヤ朝ができた。イスラム王朝は、オリエント型政教一体帝国をある意味完成させたといえるだろう。そしてイスラムはいよいよジブラルタル海峡を渡って西欧に攻め込むのである。
下はヤルムークの戦い