行き着くところは、 「なにもしない」という名札のかかった家である。
前中国大使、前伊藤忠商事会長の丹羽宇一郎さんが、
こんなことをコラムで述べていました。
「サラリーマン人生最大の危機」
入社して12年目の1974年。ニューヨークに穀物担当として駐在していたときのことです。私は穀物ディーラーとして相場の読みに、徐々に自信をつけていました。米国の穀倉地帯を干ばつが襲い、高騰を予想した私は大豆をどんどん買い増し、相場の上昇を待っていました。ところが米農務省の収穫予想は大豊作に一変し、相場は暴落。当時の伊藤忠商事の税引き後利益に匹敵するほどの巨額損失を1人でつくってしまったのです。
穀物ディーラーとしてそれなりに評価はされていたのでしょうが、この取引失敗によって「もう丹羽は終わりだ」とささやかれました。潮が引くように私の周りから人が離れていきました。当然でしょうね。これだけの損失を出した人間には誰も関わりたくないでしょうから。
鉛を飲みこんだような毎日でした。「もう辞めよう、辞めてやる」と思ったことも何度もありましたが、結局は腹をくくり「自分の心に忠実に全力を尽くそう」と思い定めました。とにかく我慢の孤独な毎日。相場反転のきっかけが来ないか、独自に情報収集を重ねていました。そのうち、秋口に「霜が降りる」との情報が入り、一日千秋の思いで霜を待ち続けました。願いが通じたのか、10月初めに霜が降りて大豆相場は一気に反転。損失が消え、首の皮一枚でつながりました。
皆が私から離れていったように見えたのですが、決してそうではなかった。会社が損失を確定せずに待ってくれたのは、相場反転のタイミングを探る私の悪戦苦闘を東京やニューヨークの上司が見ていてくれたからです。
誰かが見ていてくれるものです。場合によっては人ではなく、神や仏のような存在かもしれない。「誰かが必ず見ている。恥ずかしいことはできない。自分の心に忠実に全力を尽くす」というのが、私の得た教訓です。
(ここまで)
丹羽氏は、上司に恵まれたのでしょうね。
これだけの失敗があっても、社長まで上り詰めたんですから・・・
普通は、社長まで上り詰める器なら、これ幸いに足を引っ張られる。