城田実さんコラム第10回 「教育への熱意」(メルマガvol.18より転載)
学校の授業を週5日にして1日の授業時間を6時間から8時間に延長するという教育文化大臣の発表が思いのほか大きな反響を引き起こした。その多くは実施に慎重ないし反対の意見だ。子どもの負担が大きくなり過ぎる、踊りや音楽などの課外レッスンの時間がなくなる、などの保護者の声だけでなく、イスラム系学校を所管する宗教省からも反対された。決定は見直しになるようだがやむを得ないかも知れない。
多くのイスラム系学校では、一般のカリキュラムに加えて宗教教育を行っているので、週6日と夕方以後の時間を前提にして学習計画を組んでしまっている。夕方だけ宗教教育を行なっている施設では下校時間が遅くなると対応できない。インドネシアでは生徒数が数千人というイスラム塾・学校も少なくない。
スラバヤに住んでいた時には東ジャワの土地柄もあってイスラム塾をときどき訪ねたが、カリキュラムがびっしりで驚いたことがある。またカリマンタンから親元を離れて寮生活をしている小学生に会った時にはその健気さに感心したものだ。この国では市街地でもイスラムの聖典を読む勉強会が盛んで近所の若者や子どもが集まるのは普通の光景だから、子どもの寮住まいにも抵抗が少ないのかも知れない。
それにしても、教育文化省がそういう諸々の事情を承知の上で宗教省や関係機関に根回しもせずに大臣令を発出したとすれば驚きだ。担当総局長が学校外でのスポーツやレッスン、宗教教育も正規授業の単位として認めるなどと躍起になって説明していたが、新学期直前だったこともあってちょっとした騒動になった。
インドネシア人は教育熱心だと思う。インドネシア人が思い浮かべる歴史上の人物には、長く植民地であった経験から当然ながら独立運動の英雄が多いが、デワントロやカルティニなど教育の発展に貢献した人物も少なくない。「人は石垣…」という意識に似た心意気はインドネシアでも高く評価されているようだ。
庶民の教育に対する意識も高いように見える。できるだけ良い教育を子どもに受けさせたいという親の気持ち、子どもの向学心に感心することも少なくない。中部ジャワに土地が痩せていて村全体が貧しいために都会で働くお手伝いさんの多くはここの出身と言われる程に有名なところがある。私の家のお手伝いさんのひとりもそこの出身だった。年配だったが時々孫が訪ねてきていた。そのうちその孫がガールスカウトの服装で現れるようになった。私の2度目のジャカルタ勤務の時には女子高生になっていた。当時の標準から言うと、「自分の生活を切り詰めてよくも立派に子どもを育て上げた」という庶民の見本のように見えた。
スハルト政権下の経済成長期にはそういう家庭が多かったように思う。世銀の統計では、1970年から1995年の間に、小学校の就学率が72%から91.5%に高まり、高校でも17%から32.6%に伸びたとされている。国土の広さや地域間の格差などを考えると国の施策だけではなく国民の教育への熱意がその背景にあるのを感じる。
その頃はスハルト大統領自身が自伝に「村の子ども」とタイトルをつけ、インドネシアの貧しい人々に夢を与えていた、そういう民族としての誇りが生きていた時代であった。今は貧しくとも頑張れば指導者になれる、インドネシア人は誰でもそういう資質を受け継いでいるのだ、という誇りだ。
インドネシアは今や高校まで義務教育を拡げようという議論が起きる時代になっている。予算の20%は教育に充てられるという規定は法律ではなく憲法に書いてある。教育を大事にする伝統と明日への自信がまだ生きているよう見える。しかし他方で、クレディ・スイスのデータでは、最も豊かな上位1%の国民が国の富の半分以上を支配しているなどと報じられている。
法律や制度は充実し経済も飛躍的に発展したが、かつての湧き上がるような民族的な誇りや気分の高揚はむしろ衰退しているのではないかという人もいる。もっとも教育を通じた貧困の世代間連鎖の問題に直面している日本人としてはとてもこれにコメントできる資格はない。(了)