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Mika Nakano Official Blog

105年目の贈りもの

2017.07.18 05:41

今日、医師の日野原重明先生が亡くなった。105歳だった。亡くなるその時まで「生き切る」ということを、今日思っている。 


今では100歳を超える元気なご老人も少なく亡くなったものの、日野原先生のように積極的に社会活動を行い続けていた100歳は、それほど多くないだろう。 


わたしは直接先生にお会いしたことはない。でも、よく先生の言葉はあちらこちらで見聞きして、影響を受けていた。


まだ先生が100歳(まだ100歳というのも、すごいことだけど・・・)だった頃だと思う。ある雑誌で、先生の健康法が書いてあり、それが印象的だった。一日に1回は「ステーキ」を食べる、と書いてあった。世の中では、胃ガン予防だったり、コレステロールの問題だったりで肉が避けられ、また健康志向からベジタリアンが増え続けている中、先生は「スタミナが大事。」と、自身の体の声に従っているところが、とても魅力的だと思ったものだ。


また先生は、幾つになっても常に「新しいことに挑戦することが、最も大事」とおっしゃり、最近ではFacebookを始めたり、昨年は童話作家としてデビューした。「子どもが好きだから、童話作家にもなりたいな」そうおっしゃってのことだったそうだ。わたしの両親は85歳と88歳で、二人とも健在。それも嬉しいことだけれど、その両親を見ていて「次の活動はなんだろう?」と思うことはない。戦後、若くから働き詰めだった両親の人生を思うと、リアイアしてからの人生を自分のペースで生きていることは、子供として嬉しいと思う。しかし、日野原先生の生き方を見る時、ひととして感動する。生きることが大変だとか、面倒臭いとか、そんな風に思うことなどなく、まさに常に人生のパイオニアであり、有言実行の方だった。


先生は、明治に生まれて、昭和45年に「よど号ハイジャック事件」の人質になり4日間監禁され、死を覚悟されたという。そして生きて解放された時に「これからの人生は、与えられたものだ。誰かのために使うべきだ。」と決めたという。 わたしは、昨年六月に脳に動脈瘤が見つかった。当初診察を受けた地元の医療センターでは、非常に込み入った場所にあるため、治療はできないだろうと言われた。脳の動脈瘤は破裂した場合、くも膜下出血となり、半分は死亡・半分はシリアスな後遺症を負うことがほとんどだという。そんな恐ろしい爆弾を抱えるようなことがわかり、しかも手の施しようがないと聞き、平常心を保つことができなかった。


わたしにはまだ3歳の子どもがいて、仕事だってこれから、夫と一緒にしたかった長旅や趣味もまだまだできていない。それが、血管が何かのキッカケで破れることがあれば、一巻の終わりとは・・・平常心を保つのが難しかった。ところが、専門医を訪ね歩くと、どうもギリギリ脳の外である可能性が非常に高い、ということがわかってきた。そうわかったのが最初の発見から約1ヶ月後。結局、今もまだ経過観察のみできているのだけれど、その1ヶ月のことを、わたしは忘れることはないだろう。わたしの人生で最も長かった1ヶ月だった。そして、わたしの「生きる」ということについて、根元から何かが変わった1ヶ月だった。友人が「死なずして、生き返ったね。」と言ってくれた。わたしも、わたしの生を、他に捧げるつもりでその後生きるつもりではいたものの、なかなか先生のように思い切り良くは、なれずにいる。先生は決めたら、実行するようだ。それに、楽しんでいらっしゃる。先生が亡くなったことを、今日、車の中で知ったわたしは、会ったこともないその老医師のことを思い、ボロボロと泣いた。それは、喜んで生き、喜んで死んだ、最後まで輝き誇らしい人生を生き切った人の姿に、長いこと希望をもらっていたことに気づいた瞬間だった。


「鳥は飛び方を変え得ることはできない。動物は這い方や、走り方を変えることはできない。しかし、人間は生き方を変えることはできる。」 先生の言葉が、わたしの仕事人生とクロスオーバーする。先生のご冥福をお祈りします。 


今日も人生の扉を開いて出会ってくださり、ありがとうございます。 

菩薩とは、悟りのため修行をしながら人々の救済に力を入れる(悟りは開いていない)仏像なのだそうです。