Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

not found

2017.07.18 11:28

考え方って家族や周りの人に少なからず影響を受けています。


じゃあ「自分の考え」ってなんなんだろう。


出会う人が違えば、生まれてくる場所が違えば、私は今の私ではない、他の私になっていたのだろうか。

考え方だって今とは全然、違っていたのだろうか。

私が今悪だと思っていることを、善だと思う自分が、そこにはいたのだろうか。


そう考えると、自分が自分である事とか、自分がこうだと思っている考え方は、とても不安定な、確証のない、いつ変わるかも分からないような曖昧なものに感じる。


「私」を作ったのは、紛れもなく私。

だけど、その「私を作った私」を作ったのは周りの人と環境だと思う。


じゃあ、あの子も...あの子だって、違う場所に居れば、違う人と出会えば、違う親の元に生まれれば、今とは違うあの子になっていたのかもしれない。


生まれ来る環境は選べない。

生まれついたら、そこで生き抜くしかないのだ。


だから、環境とか場所の力で報われない思いをしている人を見ると、放って置けなくなる。

もし違う環境なら、違う人となら、あの子は笑っていられたのではないかと。


そんな時、私が、私がその違う環境に、その違う人になれないかと、そう思うのだ。


でも、なんでも受け入れられるほど、私は出来た人間じゃない。

嫌だと思う事もある。逃げたいと思う事もある。

私があの子を救えるんじゃないかって、そんなこと言うのは、無責任だと思う。責任を負えきれないことぐらい分かってる。


でも、それでも、何もできないわけじゃないと思う。


だから、自分に何ができるか。

その人にとって自分はどういう存在であるべきなのかを、いつも考えている。


例えこの想いが、この考え方が、私じゃない誰かの影響によって成り立っているとしても。明日には変わってしまうとしても、今この時の私の想いだ、と思いたい。