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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

ナポレオン51-連合軍パリ入城

2021.12.15 10:48

1814年3月13日、ナポレオンはパリからランスに進軍した。東の連合軍はまた3方に分かれて侵攻している。その前日英海軍がボルドーに上陸した。ナポレオンとしては、各地に転戦して、時間を稼ぎ、どこかで決戦を挑むつもりだった。まず北から攻めてきた普露軍を撃退した。

戦地より皇帝は、敵の大軍がパリに迫れば、息子妻他政府をパリ脱出してロワール方面に向かえ、と手紙を書いた。この伝令が連合軍に捕まり、作戦がバレてしまう。そこで連合軍は、ナポレオンを避けて、パリに向かう。この動向を可ポレオンは完全に見逃した。

3月28日、連合軍が迫るパリで摂政会議が開かれた。大勢はパリ抗戦だったが、ここで皇帝のパリ退去命令の手紙が着いて形勢逆転。29日に皇后と皇子他は、ブロアへ脱出する。その日からパリ砲撃が開始されたが、連合軍の糧食が厳しく、2日持ちこたえればどうなるかわからなかった。

しかし和平派の兄ジョゼフが、パリ防衛軍に停戦交渉を命令、数時間でパリは平和的に連合軍の入城を認めた。タレーランはその前からロシア、オーストリアとやり取りをしており、連合軍は、フランスの正当な君主に国を戻すと宣言、それまでの間臨時政府が管理するとした。