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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

ナポレオン52-自殺失敗エルバ島へ

2021.12.16 11:20

ナポレオンは1814年4月1日に本拠フォンテンブロー宮殿に入った。ここで軍隊を再編して、連合軍にプレッシャーをかけ、機を見るつもりだった。しかしその日、元老院で皇帝廃位が決まったのだ。しかしまだ皇帝のナポレオンは、翌日も近衛兵を閲兵した、裸の王様とはこのことだろう。

臨時政府のトップはタレーランである。兵がナポレオンに集まるとマズいので、パリ防衛のマルモン元帥はノルマンディー方面に行く命令を出した。ナポレオンは、パリ進撃も計画したが、ネイ元帥らが、パリを火の海にするのは趣旨が違う、と反対し、進退窮まった。

ナポレオンは退位し、息子に皇帝を譲るという宣言書に署名した。実はオーストリアは、ハプスブルクの血をひく息子の即位に賛成だったが、タレーランは親父も生き返るぞと脅し、結局反故にした。そしてパリ防衛のスームア将軍が裏切り、連合軍についたと知らされた。

4月11日、ナポレオンは無条件退位を宣言した。12日にルイ16世弟アルトワ伯が、パリ市民に歓呼で迎えられ、それを知ったナポレオンは服毒自殺をしたらしいが失敗した。彼に妻から、家族一緒に暮らしたいとの手紙を受け、4月20日ナポレオンはエルバ島に出発したが、妻子には二度と会えるはずもなかった。