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利休の後継者たち

2017.07.20 07:13


少し前のブログ(「千利休の生涯と『利休七則』 〜前編〜」「後編」)


利休に生涯ついてのお話をさせて頂きました。



今回は、「利休の後継者」についてお話していこうと思います٩( 'ω' )و



利休の死後、千家は利休の孫の宗旦の息子3人によって、

表千家・裏千家・武者小路千家の3系統に別れました。


表千家には不審庵(ふしんあん)、裏千家には(こんにちあん)、武者小路千家には(かんきゅうあん)

という代表的な茶室があり、それぞれの流派の象徴になっています。


また、利休の高弟七人は「利休七哲(りきゅうしちてつ)」と呼ばれました。



その中の1人、大名茶人の古田織部(重然)は、

利休の茶道を継承しつつも、自由で独特の美意識を発揮して武家風の茶道を発展させ、

茶器製作・建築・庭園作庭などにわたって「織部好み」と呼ばれ大流行しました!


利休と同じように幕府影響を与える人物で、

徳川二代将軍・秀忠の茶の湯の指南役にも抜擢されていていました。



また、司馬遼太郎は織部について

「世界の造形芸術史の中で、今日でいう前衛精神をもった最初の人物ではないかとおもう」

とその芸術志向を評しています^^


⬇︎古田織部



古田織部の後を継いだ小堀遠州(正一)も徳川家の茶道指南役となりました。


遠州は、生涯に400回以上の茶会を開きました🍵

招かれた人々は大名・公家・旗本・町人などあらゆる階層で延べ人数は2000人に及びました😳


また、書画、和歌にもすぐれ、王朝文化の理念と茶道を結びつけ、

その優雅で洗練された茶風は「綺麗さび」と呼ばれました。


二条城、名古屋城などの建築・造園にも才能を発揮したそうです!



⬇︎小堀遠州



今回は安土桃山時代のお話だったので、

次回は江戸時代のことを取り上げていきたいと思います٩( 'ω' )و



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