赤い服の女の子
予知夢というのでしょうか。
二十年ほども前、とても悲しい夢を見ました。
真っ赤な服を着た女の子が、ある日忽然と姿を消すという、恐ろしく物悲しい夢。
たとえ夢であれ、押し寄せてくる不安に耐えられなくて、ハッと目を覚ましたのを憶えています。
以後、人に会えば誰彼かまわず話して聞かせるほどでした。
『悪い夢を見たときには、誰かに話して聞かせると、それは正夢にはならなくなる』
本当かどうか、そんな話を何かで読んだり聞いたりしていたからです。
悲しい嫌なことが起きるのは阻止せねばならないと、それ以降、自分の娘たちには意識して赤い服を着せなくなりました。
ところがある時、とても可愛らしい赤い冬物マント(ハリーポッターの制服の上に羽織るようなあれ)を、姪っ子のお下がりで譲り受けたのです。
有ちゃんは、それをとても気に入って、小学校低学年時代の冬に羽織っていました。
身長140センチ用の小さな赤いマントなので、着れたのはほんの僅かな間だけ。
有ちゃんの体の成長と共に、箪笥の肥やしになりました。
なのに、今思えばなぜなのか、最後のクリスマスになった2016年、家族恒例のディナーに出かける際に身につけていたのです。
なんでこんな小さいサイズのマントから、腕をはみ出させてまで羽織っているのかな。
あ? そろそろ新しいお洒落なオーバーコートを買ってやらないとな☆ そう言わせるアピールかな、などと、オメデタイ私は思っていたのです。
毎年一枚ずつ壁に増えて飾られていくメリクリ写真は、それが最後になってしまいました。
最後の写真を、事後に見つめていたときに、遠い昔に見たあの悲しい夢をざわざわと思い出したのです。
こじつけといえばこじつけになるのか。
二十年も前に見たあの夢は、私に警告していたのに、見逃してしまったと。
たかだか『後味の悪い夢だった』に過ぎないとしても、恐ろしく悲しい事が起きてしまってからは、結びつけて自責の一つになってしまうのですね。
これほどまでに、自責の念に悩み苦しんでいたのに、また一つ、私は見逃してしまいました。
赤い服の女の子を、目の前で写真を撮ったり、並んで歩いたり、長時間共に居て色んなお話をしていたにもかかわらず………
📷『波乗り帰郷』
姿が見えていた奈美さん(左)と私(右)の、最後になったツーショット。
(なんとなく、大人になった奈美さんと有ちゃんにも見えなくもない…)
さいたまの大宮駅で待ちあわせしたときに、目の覚めるような赤い服を着ていたのがとても印象的でした。
ヘアーリボンも口紅も真紅で、
『ああ、この子は赤が似合うなぁ、素敵な女性になってきたなぁ』と、眩しさに目を細めながら、またもやノー天気に眺めていたのです。
有ちゃんが見えなくなってからも、親友の奈美さんとAさんは毎年弔問に来てくださいました。
命日のある一月は、自宅で長時間お話しながら、食事しながら過ごすのが恒例になっていました。
同じ年頃の子たちを見るのがとても辛かった時期もあります(今でも時々)。
けれど彼女たちから聞かされる『明日の話』、『続*明日の話』、そして奈美さんが描いてくださった油彩画『祈り〜明日へ』では、この世だけでなく来世までの果てしない希望をも、私に見せてくれました。
大袈裟ではなく、命の(心の)恩人の一人です。
なのに
また私は見逃してしまったのだな、と。
還ったのは、10月31日、ハロウィーンの日だったそうです。
悲報を聞いて数日後に火葬場へ。
たくさんの学友さんたちに続いて、この世での姿に、私も手を合わせました。
気持ちは追いついていくはずもなく、有ちゃんのときのように、なんの話? なぜ? いつから? 何に苦しんでいたのか……原因は……を、ぐるぐるぐるぐる考え出します。
そんな最中、先月移動中バスの中で、突然『心が苦しくなった』のは、ひょっとしたら奈美さんからのメッセージなのかなとも、考えました。
『どんな苦しみだったのか知ってほしい』と。
私は貴方の苦しみをほんの少し知ったけれど、当たり前に悔しいのです。
もっともっと、貴方の作品を見れると楽しみにしていました。
有ちゃんも心に伴って行こうと、学祭に招かれる日を楽しみにしていました。
でも、
一番悔しいのは貴方自身なのですよね。
苦しかったね。
あれは本当に苦しい。
貴方の描いた『祈り』のようなあの世界で、貴方は貴方らしい笑顔で居るでしょうか。
大切にしていた人たちに逢えているでしょうか。
12月18日、四十九日。
遠くからですが、たくさんたくさん思います。
そしてこれからもずっと祈り続けます。
姿こそ見えなくなりましたが、あの世とこの世、隔たりなく行き来できますように。
ずっと有ちゃんとも私とも仲良くしていただけたら、嬉しいです。
◆自死遺族の集い