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ポケットに手を入れた女の子 「村山知義 Murayama Tomoyoshi」

2017.07.25 11:15

村山知義さんの絵を好きになったのはたぶん、数年前に自由学園明日館で行われた子供之友の原画展で、ポケットに手を突っ込んでいる少女の絵を見たのが、最初だったと記憶しています。

ポケットに手を入れた女の子。

ポケットに手を入れるってやっぱり何処か不良で、斜に構えてて、クールでモダンで(なんだか形容詞がジャズみたいですね…)、もう100年も前になるほどの絵なのに、そんな風に感じた少女の絵に、すぐに心を奪われてしまったのでした。

その後も、村山知義の名前に結びついた色々なこと、例えばMAVOと言う伝説の詩誌への参加、前衛芸術家として美術や演劇の仕事、知れば知るほど、このひとりの芸術家の多才に驚き、愛着を深めていました。

画集をめくってみると気付くのは(童話の世界ではなく)現実世界の子どもたち描いている絵は皆何処か、寂しそうだったり、つまらなそうにしていたりもして、心は何処か遠いところへ離れているかのような、憂いの目をしているのです。

そしてやっぱり、最初に出会った絵の女の子の他にも、ポケットに手を入れている女の子が散見されます。

女の子って、こんなにポケットに手を入れるかな、どうなんだろう、もし、それが少しは普通とは違うことだとしたら、村山知義さんは矢張り幾らかは、子どもが持つある種の寂しさを、そして子どもが寂しさを持つことによって感じるその強さを(村山さんの描く少女は等しく皆、とても強い眼差しを持っています)、描きたかったのではないかな、と想像してしまいます。

それは男の子がポケットに手を入れることとは違う、強さと寂しさで、まるで詩のように、その絵を眺めると不思議な情感が胸に滲んでくるようです。

ポケットの中の手は、握りしめられているのか、はたまた次にポケットから手を出したとき何かをつかむためにもう、それはひらかれているのか、見ることは出来ないのですが、それでも何度も、何度も村山知義さんの画集をページをめくって、いつかの自分を見るように、何処かで出会ったことのある女の子を見るように、いつまでもモダンな、秘密を抱えた少女たちを見つめてしまいます。


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