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日曜小説 No Exist Man 闇の啓蟄 第一章 朝焼け 2

2021.12.18 22:00

日曜小説 No Exist Man 闇の啓蟄

第一章 朝焼け 2


 しばらくの間、大沢がタバコを吸ったまま、無言の時間が流れた。岩田智也は、それほど忍耐強い方ではなく、ずっと松原を睨みつけたままであったが、しかし、大沢や青山がいるので勝手な行動はとれないでいた。

その大沢は、一つには松原との間になんとなく親近感を感じ始めていたことと、そして、この席が陳文敏がセットした席であり、自分が中心に何でも言ってよいというものではないということを感じており、その場で陳や松原が次にどのような行動をとるのかということを黙って待っていた。

 ほんの数分の事、松原がまだ煙草を一本吸い終わらない間に、陳文敏は横に立つウエイターに指示をして、席に飲み物とちょっとしたつまみを用意させた。さすがに何回もこの人々と個別に会食しているだけあって、参加者の飲み物の好みはよく知っている。何も言わないのに、大沢の前には温かいポットの中に入ったプーアール茶が、そして松原の前には、冷たい氷入りのウーロン茶が、そして青山と岩田の前にはタンブラーに入った生ビールがおかれた。

「さあさあ、黙っていても仕方がありません。乾杯という雰囲気ではありませんので、まず、食前酒ということで喉を潤しましょう」

 陳は、そういうと、自ら目の前に置かれたウイスキーの水割りを飲んだ。

「陳さんがそうおっしゃるならば、我々も少し戴きましょう。青山君も岩田君も、頂戴しなさい」

 大沢は、陳がグラスを置くのを見届け、そのグラスの中のウイスキーが減っていることをしっかりと見届けてから、そのようなことを言った。さすがに、この席で自分の飲み物に毒が仕込まれているというようなことは考えもしないし、また、そのようなことを考える相手でもない。

しかし、席の主催者である陳のメンツをつぶさないようにするということだけが、この大沢という男を動かしているような感じであった。

「まあ、戴こうか」

 松原はそういうと、青山や岩田が飲む前に、自分の前のウーロン茶を一口、慎重に口を付けた。こちらは、この席に誰も自分の身内を連れてきていない。何かグラスの中に毒を入れられれば、誰も助けてくれない環境にあるので、その辺は慎重である。


「皆さん、飲んだので、すこし私から話をさせていただきましょう。実は・・・・・・」

 陳は、近くにいるウエーターに前菜などを運ぶように指示すると、目の前にあるザーサイを食べながら言い始めた。

「実は、皆さんにお願いがあって本日はお呼びしたのです。」

「お願い」

「ほう、陳さんからのお願いですか」

 大沢は、彼が今までしてきた中で、ベストスリーに入る笑顔でそう言った。もちろん、この陳は中国人であるが、それを様々な方法で、政治家である大沢に献金をしている。大沢だけではなく、大沢の所属する立憲新生党にも多額の献金をしているのである。それだけでは無く、裏献金とも取れる不明な資金も多く存在している。まさにその不明な資金こそ、大沢の活動資金の根源であり、また大沢の派閥を作るための資金であった。

 大沢には、そのようなことがあり、普段政界では見せない笑顔を陳に向かってすることがある。岩田はそのような愛想笑いをしている大沢が最も嫌いであった。岩田は、大沢の著書を呼んでその政策に感動して政治の道を志した。多額の月謝を払い「大沢三郎政策塾」などにも参加していたのである。政策でカリスマ性を持った大沢が好きであった。それだけに、大沢が愛想笑いをし金を集めている姿は、岩田には耐えられないものでしかない。先ほどの松原の態度といい、そして大沢の愛想笑いといい、岩田はもう感情が爆発するのではないかと思うところであった。

「大沢さん、実は、この日本を平和で住みやすい国にするために、是非力を貸して戴きたいのです」

「ほう、平和で住みやすい国ですか。」

 大沢は、愛想笑いの中で、言った。岩田は、青山にしか聞こえない声で「誰にとってだよ」とつぶやいた。そうだ、陳はわざと主語を抜かして、誰にとって住みやすい国にするのかは全く言っていない。日本人にとってなのか、中国人にとっての事であるのか、全く見えない話なのだ。

「中国人にとって住みやすい国にするのか、それとも共産主義者にとって住みやすい国にするのか」

 その岩田のつぶやきが聞こえたわけではないが、しかし、岩田の思ったことと全く同じことを松原が、タバコの火を消しながら言った。岩田はその松原の言葉に、ハッと目を覚まさせられたような気がした。松原は、何が起きるかを知っているのではないか。そして、陳の考えることを事前に知っているかあるいはかなり精度の高い状態で察知しているのではないか。何も知らないでここに来ているのは自分たちだけではないのか。

「松原さん、そんなに先走ってはいけませんよ。まだ食事はデザートまで長いです」

「そんなにゆっくり時間を取る気はない。」

 松原は、時間がないといいながら、タバコの火を付けた。

「松原さんはいつも短気でいけません。中国のことわざでは・・・・・・」

「陳さん、それはいいよ。結論から話してくれ」

 松原は、不機嫌そうに付けたばかりの煙草をひとふかしすると、そのまままた灰皿に押し付けて火を消した。

「わかりました。大沢さんはもっとゆっくりしていただいてい良いのですが、先に結論を言いましょう。」

 そういうと、さすがの陳も、少し緊張をしているのか、水割りを一気に飲み干した。横のウエイターがすぐに新しい水割りをもって、小走りに陳の後ろに立った。

「日本を転覆させてください。」

「次の選挙で勝てばいいのですかな」

 大沢は、楽観的にそういうと、笑顔を作った。

「大沢さん、何を言っているのですか。日本の政治の根幹は天皇です。内閣総理大臣は天皇が任命しますし、天皇が出てくれば、日本の国民は無条件でその天皇を信奉します。その天皇を殺すのです」

 さすがの大沢も、頬の肉がひきつった。岩田も青山も、声が出なかった。政府を転覆させる、つまり、国会の中の過半数与党である民主自由党を敗北に追い込み、そのうえで自分たちが政権を取って、何かを変えるということであれば、別段何の問題もない。そのうえ、過去に何回か民主自由党を下野させたこともある。その時に何人か死人が出ても何とも思わないというのも、大沢という政治家の特徴であろう。しかし、まさか天皇を殺すとなれば話は別である。

「陳さん、それは本国の命令か。それとも陳さんの思い付きか」

 松原は、もう一度深く椅子に腰かけると、新しい煙草に火をつけた。このタバコが、松原にとっては時間を計る道具でもあり、また、考えるペースを作る道具でもあるのであろう。煙草に火をつけたということは、間違いなく、もう少しここにいて何かを考えるということに他ならない。

「本国の命令です」

 陳文敏は、全く何事もなかったかのように、答えた。そして、新しく持ってこられた水割りに口を付けた。

「面白いじゃねえか」

 松原はそういった。

「でも、そっちの大物政治家先生は、とてもできるもんじゃないだろう」

 松原は、サングラスの奥で、また目を光らせた。同じような思想を持ちながら、やはり何か政治家には腹に一物あるのではないか。

「いや、出来ない話ではない。もちろん、松原先生のように、我々が武器をもって天皇を直接殺すことはできないでしょう。しかし、松原さんや陳さんが何かを実行した後に、世論収め、そして日本を改革するのは、我らの仕事でしょう。そこは、お互い特異なことを行うべきじゃないでしょうか」

「陳さんは何をする」

 松原は、陳文敏にも矛先を向けた。

「私ではない、中国共産党政府です。必要なことは何でもしますよ」

 陳は、食肉用の豚を殺す話をしているかのように、何か笑って話した。

「そうか、ならまずは金を用意しろ。話はそのあとだ」

 松原はそういうと、さっと席を立って部屋を出て行った。

「先生、大丈夫ですか」

 少し青い顔になっている大沢に、青山が声をかけた。

「問題ない。」

 大沢は右手で青山を制した。

「まあ、話が決まったことで、また来月でも集まって具体的な話をしましょう」

 陳は、松原の後を片付けさせると、そのまま食事の準備をさせた。