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帰ってきた!旅行作家小竹裕一の〈世界・旅のアラベスク〉

2017.07.27 09:30

今回はタイトル通り、異文化間コミュニケーションの授業でおなじみ、APUの小竹裕一先生

による旅行記になります!

ご自身の海外経験での熱い思いを記事にしていただいております。


小竹先生は授業を受けた人なら誰もが知る海外旅行の鬼!!さらにあのユニークな授業からもわかる超面白い先生!!

そんな先生が海外で経験したことや感じたことを「旅行作家小竹裕一」として書いてくださるなんて絶対面白い!

みなさんも「旅行作家小竹裕一」の世界観にどっぷりはまること間違いなし!!


過去の記事はこちらから↓↓↓

【第一弾】「ぐぁんばれ、マック!〜海外旅行の〈駆け込み寺〉・マクドナルド's〜」

https://apufreemagazine.themedia.jp/posts/1611591

【第二弾】「ポーランドに「床屋」はあるのか?! 〜世界の理髪店あれこれ〜」

https://apufreemagazine.themedia.jp/posts/1752438

【第三弾】「マドリードからバルセロナへ 〜世界の理髪店あれこれ〜」

https://apufreemagazine.themedia.jp/posts/1953933





『ポーランドのアウシュビッツとローマ法王~なぜ今訪れたのか?!~』

「ワルシャワの旧市街市場にて」



昨年(2016年)の7月末、私はポーランドへ旅立った。料金が安いフィンランド航空を利用し、まずフィンランドの首都・ヘルシンキに到着。そこから、同じフィンエアの小型機でワルシャワへ向かったのだが、40人ぐらいの乗客のなかで、アジア人は私は一人だけだった。やはり、ヘルシンキとかワルシャワとかいった、ヨーロッパでもマイナーなところは、アジア人が目立たない。逆にいえば、フィンランド人もスラブ系のポーランド人も「ヨーロッパ人」の仲間であることが、皮膚感覚でわかってくる。

そう、日本ではポーランドのことを「東欧」と思っている人が多いけれど、ユーラシア大陸のウラル山脈までの土地を「ヨーロッパ」とすると、その中心はポーランド西部あたりにあり、ポーランドは「中欧」そのものなのである。

*                       *

ポーランドの国土の広さは、だいたい日本の本州と北海道を合わせたぐらい。その平均海抜はたったの173メートルで、そもそも「ポーランド(ポルスカ)」という言葉の意味は「平原」だそうだ。ワルシャワから急行列車に何時間乗っても、山が全く現れないのも「むべなるかな」である。

ちなみに、そんな平原と森が広がるポーランドが、かつてヨーロッパでも指折りの貧しい国だったのは、緯度がサハリンとほぼ同じの寒冷地で、農作物がよくとれなかったためらしい。

さて、トルのフレンデリック・ショパン空港から157番の市バスに乗り、20分ちょっとでワルシャワ中央駅に着いた。乗車賃が5ズウォナ(約150円)なのは、いかにも安い。

駅から今度はトラム(市電)をつかい、ふたつ目の停留所でおりたまではよかったのだが、ホテルまでの道がまったくわからない。近くにいた若いポーランド人男性に英語でたずねると、真新しいスマホで調べてくれた。

なんと目指すホテルは停留所のすぐ後ろに建っていた。時差ぼけの症状がもう出ているようだ。フロント嬢に来意を告げたら、「チェック・インは午後2時からです」といわれてしまった。時計を見ると、まだ午前11時すぎである。

<はやく部屋に入って、一眠りしたいのに、、、、>と思ったが、特別措置はないという。仕方がないので、ロビーの隅にあるラウンジ<思い旅行カバンを運び、ねむ気ざましのコーヒー>を注文した。

*                       *

ラウンジには、薄型の大画面テレビが天井近くにかかっている。メーカーを見ると、韓国の「LG」だった。もうヨーロッパのホテルには、「ソニー」とか「パナソニック」とかの日本製テレビはないのだ。テレビの音量はぐっもしぼられていて、画面をちらっと見たら、カトリック(旧教)のローマ法王が正式の白い法服を着て、ひとりでどこかの敷地を歩いている。

<アッ、ポーランドはたしかにカトリックの国だったナ>と思いながら、彼の表情になにか尋常ではないものを感じたので、夜行便で寝不足の目を何回もこすって、画面を注視した。----------

ローマ法王というのは、いわずと知れたキリスト教カトリックの頂点に立つ宗教指導者である。日本ではいま天皇の「生前退位」が話題になっているが、ローマ法王も終身職で途中で退位することはない。

ただ、前任者のベネディクト16世(ドイツ人)は、自ら突然の退位を表明して、全世界11億人のカトリック信者をおどろかせた。およそ600年ぶりの珍事だという。新しく選ばれたフランシスコ法王(自分で法王名を自由に決められる!)はアルゼンチン人で、中南米出身のローマ法王はカトリックの長い歴史のなかでも初めてだそうだ。そのフランシスコ法王がポーランドのテレビに生中継で出現し、とても厳粛な顔をして一人でゆっくり歩いている。<どこだろう……>と思って見ていると、その敷地の門が画面にうつった。

 その古めかしい鉄製の門の上には、”ARBEIT MACHEN FREI”(労働は自由をつくる)とのドイツ語がアーチ状にかかげられていた。アルファベットの文字はどれも鉄でつくられているので、今も当時のままに残っている。

 これを見て、わたしは瞬間的に「アッ、ナチスの収容所だ!」と小さな声で叫んだ。5年ほど前に訪れたミュンヘンのダッハウ収容所の鉄の門扉にも、この文言がすかし彫りのようにはめこめられていたからだ。

*                       *

 ドイツ。ナチス党のリーダー、ヒットラーはポーランドを1939年に軍事占領したあと、ここを東方への進出の軍事拠点にすると共に、ユダヤ人やロマ人(ジプシー)などの「列島民族」を絶滅させるための「収容所」をポーランド各地につくった。

 その最大の収容所たるアウシュビッツ(ポーランドの古都・クラクフから西へ50キロいった所にある)をいまローマ法王が訪れているのだ。彼はそこでユダヤ教のラビ(宗教指導者)や犠牲者の遺族たちと会い、現在は博物館となっている収容所内の各施設をひとつひとつ見て歩いている。

 ここには、ヨーロッパ各地から狩り集められ、貨物列車で運ばれてきたユダヤ人、あるいはポーランドの反ドイツ活動家の人びとを効率的に殺害するためのガス室および死体焼却場があり、じつに数百万人もの人がここで命を奪われたのである。

*                        *

 ローマ法王は収容所内の監獄の一室に入り、それらの犠牲者たちのために、長い祈りを捧げた。

 そのあと、中庭に出た法王に対し、土地の民族衣装を身につけたふたりの中年女性が、手製の巨大なパンをプレゼントした。法王は微笑をうかべて、そのパンの一片を口に入れた。

 さすがカトリックの国・ポーランド。ローマ法王を慕い尊敬している善男善女の信徒が多いのだろう。ポーランドでは昔から、パンは「富と豊かさのシンボル」とされ、今日会や自宅の祭壇に供えられてきたという。

 では、ローマ法王はなぜこの時期にアウシュビッツをわざわざ訪れたのであろうか。

                                (次回につづく)