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琉球泡盛に恋して。おじいちゃんカッコいい!太平洋戦争中ビルマへ泡盛製造に向け出発前の写真です。沖縄は8月15日終戦記念日

2017.07.28 02:00



はいたーい!


おじいちゃんはカッコよくて

とっても優しい方でした。

太平洋戦争中に泡盛製造に携わっていた

祖父。

素敵な写真が今もなお

残っていることが嬉しいです。

祖先崇拝な沖縄〜

そして

8月15日は終戦記念日


祖先に改めて感謝!

写真:KARACARAvol.25 2008winter

          泡盛に恋して。

▶︎以下泡盛雑誌【KARACARAvol.25 2008】

より引用文掲載

▶︎太平洋戦争中、ほんの短い期間ではありましたが、ビルマ(現在のミャンマー)で泡盛が製造されていました。

これは日本軍の進駐に伴うもので、当初は清酒やビールの製造が試まれましたが、熱帯性の気候の中、本来、寒冷な気候の中での醸造が適している清酒は、その製品化の日の目をみることはできず、ビールも製造に適しませんでした。

そこで白羽の矢が立ったのが泡盛でした。

日本軍からの要請を受け、昭和18年、沖縄県内の酒造所から技術者がビルマへと赴きました。暑い沖縄の気候風土の中で造り継がれてきた泡盛であれば、ビルマの気候条件においても必ずや製造に成功しうるであろうという厚い期待がかけられた一行でしたが、設備を調えるところから始まり、慣れない土地で、質の異なる水を用いながら、泡盛の製造を成功に致らしめるまでには、さまざまな困難と立ち向かわなければならなかったようです。

翌昭和19年3月に、ようやく本格的な製造に到ると、1ヶ月あたり5石(約9,000ℓ)ほどの泡盛が造られるようになり、軍人たちによって消費されました。

初めて確かな泡盛が蒸留されたとき、その一口を味わった桜井徳太郎少将(明治30〜昭和55年)※民俗学者で、沖縄にも造詣の深い桜井徳太郎氏(大正6〜平成19年)とは同姓同名の別人)は「これは確かに琉球の泡盛だ」と言ったといいます。

この言葉から、桜井少将が、それまでに、どこかで少なからず泡盛を嗜んでいたであろうことが想像に難しくありません。

また、ビルマでの泡盛製造には、「太平水産のビルマ支店」が関与していたことがわかっていますが、この「太平水産」という会社と、戦前、南洋パラオにおいて鰹節製造販売の傍ら マルタ印泡盛を製造していた「太平水産株式会社」との関連についても、興味をひかれるところで、今後、研究の余地が残されています。

終戦を迎え、ビルマでの泡盛の製造は途絶えましたが、このエピソードは当時の泡盛製造の拡がりを知る上で、貴重なパズルのピースを与えてくれています。


NO AWAMORI NO LIFE

NO OKINAWA NO LIFE

NO MUSIC NO LIFE♪


素敵な1日を〜〜🌈


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このblogは地元沖縄に所縁のあるイイな・感動・シェアしたいと思ったことを私が個人的に残しています。

微力ながら沖縄からLOVE&PEACEを継承していきたい小娘です👩🏻

▶︎プロフィール

 私は2017年からフリーで活動を開始したばかりです。

昨年までは医療・福祉関係の職に就いており、高齢者の方(先輩方)と接することも多く、先輩方から沖縄戦の辛く苦しい体験を直接聴く機会がありました。

今の平和な沖縄県、日本があるのは

先輩方のお陰だと私は心から思っています。

沖縄戦体験者の方々も今後、ひとりふたりと世を去っていきます。

ほんの数年前に起きた沖縄戦という恐ろしい歴史が、今後風化していくのではないかと、私は危機感を覚えています。

私はもっと学びを深め、沖縄戦の歴史や伝統・文化、今ある平和の尊さを、愛を込めて表現します♡


▶︎こちらのInstagramでは自作の絵を主にアップしております。

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