ヴァチカンの野望5-カロリング朝の誕生
2017.07.29 11:29
その頃ローマは結構ピンチだった。ユスティニアス大帝亡き後、イタリアにはゲルマン系のランゴバルト王国が誕生し、ローマを脅かしていた。イスラムでは750年にアッバース朝が成立、中央集権型の帝国として勢力を確立していた。帝国は、地中海の海上覇権を達成し、シチリアが狙われていた。
実はこの苦難の時代に「永遠のローマ」というキャッチコピーができたらしい。西ローマ亡き後ヴァチカンは新たにキリスト教の首都というイメージを演出したのである。その後の歴史を見るとき、この戦略はかなり成功したといえる。
741年、カロリング家の名声を高らしめたカールマルテルが亡くなり、息子のカールマンとピピン3世がフランク内部の王国の宮宰となった。しかし747年、権力争いに負けた兄カールマンは修道院に隠棲した。ドイツの使徒ボニファティウスは如才なく、ピピンとローマの間を取り持った。
ピピンは、教皇に「王の称号を持つ者と力を持つ者はどちらが王にふさわしいか」という問いを発し、教皇は「実権を持つ者」と答え、751年ついにボニファティウスによって戴冠し、カロリング王朝が生まれた。大きな仕事を成したボニファティウスだが、754年ネーデルランドへ宣教へ行く旅で盗賊に襲われ殉教し列聖された。
下はピピン三世の戴冠