グアテマラシティの国立カルロス・メリダ美術館
グアテマラシティの国立考古学民俗学博物館のすぐ向かいに、国立カルロス・メリダ美術館があります。外国人の入館料は40ケツァールで、ドルでの支払いはできません。
美術館の名前になった人物「カルロス・メリダ」(Carlos Mérida)という画家は、中央公園正面にあるグアテマラ国立宮殿の壁画も手がけたほど、グアテマラではとても著名なアーティストなんだそうです。グアテマラだけでなく、中米の「壁画運動」で名を馳せた画家で、メキシコでも知られているのだそうです。
カルロス・メリダは、1891年12月2日生まれのグアテマラ人画家で、ヨーロッパの近代画法を初めて中南米(特にグアテマラとメキシコでの創作活動)で取り入れたことで知られています。彼は、隣国メキシコでの壁画主義運動に加わり、被写体を写実的に捉えるよりも、型にはまらない自由な形状で表現するスタイルを好んでいたそうです。
カルロス・メリダの作品のなかでも最もよく知られているのが、キャンバス画と壁画で、壁画については、1950年代から1960年代にかけて制作されたガラスやモザイクを使った作品が有名なのだそうです。
カルロス・メリダは幼少期から芸術に慣れ親しんで暮らしていました。両親の教育で、子どものころから音楽と絵画を習い事として学んでいましたが、その頃は絵よりも音楽、とくにピアノが得意な少年でした。
しかし、カルロスは15歳の時、耳に部分的な難聴をかかえてしまうことになり、これを心配したカルロスの父親が、音楽ではなく絵画に専念するように言ったのだそうです。中等教育を終えたカルロスは、その後、グアテマラシティで2つの芸術学校に通い、画家としての人生を本格的に歩み始めました。
しかしながら、20世紀初頭のグアテマラに芸術を極める機会は十分にあったわけではなく、カルロス・メリダは1910年、友人とともにドイツの貨物船に乗り込んでフランスの首都パリへ渡航。それから4年間、パリで仕事をしながら暮らし、ヨーロッパ中を旅して回りました。
この時、カルロス・メリダはアメデオ・モディリアーニ、パブロ・ピカソ、ピエ・モンドリアンなどヨーロッパの一流画家との出会いを果たします。同時に、ディエゴ・リヴェラ、ジョルジュ・エンシソ、アンヘル・ザラガなど、中南米からヨーロッパへ渡った芸術家たちとも交流をするようになります。
カルロス・メリダが故郷グアテマラに帰国したのは1914年。ヨーロッパで過ごした4年間は、彼に故郷をこれまでとは違った視点で見せるようになります。中南米の魅力や彼自身の新たなアイデンティティを感じ取ったカルロスは、その時を界にグアテマラの「先住民族」や「土着の文化」をテーマにした作品を多く描くようになりました。
美術館中央にあるカルロス・メリダの作品コーナーに入ると、彼の作品が円形に展示されています。古代マヤ文明の伝統を守るグアテマラの先住民族をモチーフに、彼らの鮮やかな色彩感覚をカルロス・メリダのフィルターで描いています。
連続的な統一感がありながらも、それぞれが別のものである作品で、そこにもグアテマラの民族グループの唯一無二のユニークさが現れているような気がします。
美術館には、カルロス・メリダの作品のほかに、世界的に著名な画家の作品はあまりありませんが、見ていて実におもしろい作品がいくつもあります。被写体や色使いがグアテマラらしく、マヤの伝統を守る人たちの姿や生活を描いた作品が多く展示されています。
展示作品のなかで、個人的に私が一番気になったのが、この絵でした。一見するとまるでイラストのようなタッチで描かれていますが、近くでみると本格的な絵画で、グアテマラの自然の過酷さとそこに生きてきた人々の苦しみや悲しみを、火山の爆発(地震)という現象をとおして描いています。そして、ここにも土着の文化とスペインの植民地文化の融合が、一枚の絵の中に見られます。
展示されている絵画作品もさることながら、何より一番目を奪われるのが天井!シンメトリー(左右対称)のコロニアル建築の大ホールに、八角形の幾何学模様が天井いっぱいに並んでいます。そして、中央には大きさ数メートルにもなる巨大なシャンデリア。スペイン植民地時代のグアテマラの繁栄ぶりが伺えます。