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文学的な、余りに文学的な

2017.08.02 23:41

文学の話ばかりで申し訳ない、と謝りつつ、今日も文学の話をする。


「文芸的な、余りに文芸的な」とは芥川龍之介の文学評論である。

この評論で、谷崎潤一郎と芥川の、文学という芸術に対する見解の違いが浮き彫りになる。

芥川は文学に対する詩的精神を重んじた。

それに対し谷崎は文学の筋、すなわち構成や題材が重要とした。

これは書き手にとっての創作に対する考えの違いである。

私もどちらかと言うと、芥川の立場をとる。

小説において物語は必ず必要というわけではない。

極端なことを言えば、私は「 」(空白)で何かを伝え感動させたい。

何も書かれていないが、全てが書かれている。

そんな作品を生み出したい。


先日から「向日葵の言葉」の執筆を中断し、別の小説を書いている。

「向日葵の言葉」は主人公が心の病を抱えているという設定にしているが、ナイーブな問題であり、私の認識不足があった。

もっと勉強してから続きを書く。

ということで、今は夜の蝶とネットビジネスに絡む小説を書いている。

これで10月が締切の群像新人文学賞か、間に合わなければ年末の大宰治賞に応募する。

どちらも純文学の賞である。

応募条件は原稿用紙100枚~200枚ほどの短編~中編である。

枚数が少ないため書きたいことは全部書けない。

何をメインに書くか。それが重要になってくる。

話は変わるが、私が本当に芥川賞作家になると信じている人は少ない。

私にも師匠がいる。70過ぎの漫画家のお姉さんだが、その方と、私自身と、会社に1人いるぐらいである。

さて、ジャンプ小説新人賞などの大衆小説と違い、純文学の賞と言うのは独特の閉鎖的な基準がある。

深さと比例するように、おのずと作品も暗くなる。

暗い作品を書いている間は、気分もなるべく暗い方が良い。

パーリーピーポー的な気分では、のりのよい小説になってしまう。

そこで改めて、何を書くかが問題になってくる。

私小説と言えど、主人公は私ではいけない。

どちらかと言えば、私もパーリーピーポーに近い。なので主人公は架空の人物にする。

また、深さのスパイスとして物語を重層化にするため、もう一つ視点を持ち込む。

悩みどころだが「客」として私の影を配置する。

そして、重要なのがヒロインである。

物語のイメージと方向性に関わってくる。

作品のはじまり、下手くそな「青空」が響く店内(歌っているのは私)に、主人公の男が来店する。

まずどこに座り、どんな人とどんな会話をするか。

これが物語の伏線になる。

主人公がおじさんでは物語が茶番になってしまい、20代中盤では、ただの恋愛小説になってしまう。

30手前のメーカー勤務か、システムエンジニアにしよう。一番書きやすい。

実は、ラストのシーンはもう決まっている。

これもお店の店内の風景で、武田鉄矢さん風の男が、やはりカラオケを歌っている。曲は「人として」。 

映画化されたときは、そのカラオケの歌に続いてエンドロールがはじまる。

本物の武田鉄矢さんが歌ってくれたら最高である。

まあこれは妄想だが、やはり歌と会話が、物語の重要な鍵となる。

ただし、メロドラマでなく、純文学である。

山場は何にしようか。

今はまだ風景しか書いていないが、もう少しで構成が決まる。

1日3枚書けば、9月の中旬には完成するだろう。

できたらぜひ読んで欲しい。私の文学を。