恋愛嫌いの私が学生ママになるまで#01 「その日」は突然やってきた。 2017.08.07 05:11 大学1年の頃、クラスのみんなに恋愛はしないと豪語していた。それはなぜかというと、 高校時代の恋愛が面倒だったから。面倒というと誤解を生みそうだけれど、当時の彼氏はとっても優しくてあまりにも紳士的で、 「君を守ってあげるよ、僕についておいで。」といった感じだった。その時の私は彼の「ついておいで」という話をうわの空で聞きながら「あんたに守ってもらわなくても自分でできるし!頼りたいわけじゃないし!」と思っていた。そんな高校時代の恋愛経験もあって、 恋愛=面倒と思ってきたため、恋愛しない宣言をしていた。 どちらかといえば「一人で生きてゆく女性」に憧れていたのだ。とはいいつつ女子のいわゆる「仲良くグループ」みたいなものも嫌いなので、さばさばした女子や男子といる方が気楽で、そういう人とばっかり一緒にいた。その中で出会ったのがのちに夫になる人だった。女子とよく一緒にいて、人に頼ってばっかり(テストとか、テストとか。)のまったりした性格の男子で、 「何も考えてなさそうだなこの人。」が第一印象。一緒に遊ぶ男友達の一人として仲良くなり、おばあちゃんの家に一緒に行ったり、私が好きな街の散策に付き合ってもらったりしていた。そうこうするうちにどんどん仲良くなり、結果、大学1年の終わりに付き合うことになった。"付き合う"ということをしたくないという私を友達が説得した結果だった。彼とは一緒にいて気楽で、楽しくて、なんならずっと一緒に居られるくらい雰囲気が合ったのが決め手。大学2年の間は普通に大学生の恋愛をしていった。授業はほとんど一緒だったし、休日も会って一緒に遊んでいた。そうして日々過ぎていく中、人生最大の転機となる日が訪れた。その日は突然やってきた。大学2年の春休みだった。その日朝早く起きた私は生理が遅れていたのもあって、妊娠検査薬を使ってみた。それまでに何回か使ったことがあったので(そのたびに陰性だったけど笑)なんの高ぶりもなく使ったけれど、今回はすぐに線が出た。つまり陽性だった。それまでも妊娠したら中絶しないということは考えてきたし、言ってきていた。なぜそう考えていたかというと、高校で学んだ生命倫理の影響が大きかった。命の多様さとそのひとつひとつの貴重さ、大切さを自分なりに受け取っていたのかもしれないなと今は自己分析している...当時は中絶という選択肢をそもそも頭に浮かべなかった。 結婚ということも二人ですでにそれとなく考えてきていたし、この人とならずっと一緒に暮らしていけると思っていたのも産むという決断を揺らぎないものにしていたと思う。まず、妊娠検査薬の写真を撮った。それから、考えた。「やることが増えたな」それしかなかった。動揺もしたけれど、高揚感に近い感情だった気がする。アドレナリンが出すぎている状態みたいな。まずは彼氏に連絡。一人で抱えているものを吐き出せた安心感で泣いてしまった。そして次の日直接会った。その時にこれから頑張っていこう!楽しもう!と言ってもらえたことがすごく心の助けになった。産むという決断は主に私がして、彼はそれを快く認めてくれたという感じだった。そしてここから学生として母になるべく、小さくて大きな一歩を踏み出すことになった。 もっと見る:社会, 学生, 妊娠, 学生結婚, 学生ママ, 母親, 結婚 一貫してマタニティーピンクだった理由 産後6ヶ月経った今まで、多くの人が経験するマタニティーブルーや産後うつに全くかからなかった私。未だ産後クライシスとは無縁。その理由とは。※マタニティーピンク...マタニティーブルーの反対(と勝手に定義しました笑)母親教室や病院での入院説明書で教わることの中に、マタニティーブルーと産後うつがありました。ポジティブに生きている私は産後うつになるとは思っていませんでしたが、マタニティーブルーにはなる可能性はあるだろうと考えていました。しかし結果として、今の今まで全くブルーな気分になることがありませんでした。某体験記などでしばしば産後の記事を見たりしている中で、私は「なぜ毎日楽しく子供と生きてこれたのだろう...」と まわりとの違和感を感じてました。その1:自分への自信と自己肯定「子供を産んだ」それだけで自分は素晴らしいと思っていました。優等生の妊婦ではなかったとは思いますが、妊娠中、「妊婦」ということにとらわれずに私は私のしたいことを行っていました。ただ妊婦としてしっかり全うした仕事もあります。例えば、10ヶ月も子宮という素敵なおうちを赤ちゃんに貸してあげたのです。そして赤ちゃんが出たいと思ったその時、一緒に頑張って世の中に出したのです。次の世代の人間を、この私から、世の中に生み出した!すごいじゃないですか!我ながらあっぱれなまでの自信と自己肯定をもっていました。その2:完璧な母にならない決心 学生であったこと。これは大きかったですが、この条件に縛られることはありません。母になることなんてみんな初めてであって、年齢は関係ありません。ただ学生であることで、周りの方や市役所の方、病院の看護師さん達、様々な方面から「大丈夫?」と心配されました。そこで気づいたこと「あ。私はまだ未熟なんだ。」ここから完璧な母になろうとは思いませんでした。なにも一人で育てることはないし、できる限りまわりの好意を受け取っていこうと思っていました。「子供の命を私が背負っている」なんてこれっぽちも考えてないです。私は子供と一緒に今もなお成長し、一緒に生きています。背負っているのではなく、隣にいます。子供を育ててはいません。子供が育っていっています。私が今完璧になる必要はなくて、足りないところは誰かほかの人に補ってもらおう!このくらいの気負い方が最適です。(とにかく私には。)その3:子供の生命力を信じる病院から退院した後、自分で赤ちゃんのお世話をしなくてはならなくなります。もちろん不安ですよね...しかし、そこは私。全く不安はなかったです。赤ちゃんは生きていくものだと思っていました。乳幼児突然死症候群だけ心配して、あとは私譲りの免疫力と生命力にかけていました。さすがに添い寝している時は「これ寝っ転がったらまずいな...」と思っていましたね笑娘は低体重出生児だったので、本当にふにゃふにゃーとしてました。赤ちゃんより、生まれたての猿というほうが合ってました。かわいかったですけど!番外編:もっとも大切で、もっとも私を楽しませてくれたもの夫の素晴らしい家事育児の協力(協力じゃないんですけどね。夫のほうがやってましたから)、関心をもって遊びに来てくれる友達、お祝いしてくれる先生方、なんだかんだ声かけてくれて、手伝ってくれて、安心んさせてくれる両家の家族。感謝としか表せませんが、本当に私は素晴らしい人たちに巡り合ってきたのだとつくづく思いました。一貫してマタニティーピンクであった私は、おかげさまで産後クライシスとは無縁でした。夫との仲はより良く、娘がいることでさらに楽しくなりました。一番大切なのは、夫と娘です。娘>夫ではありません。夫=娘です。夫は私を大切にしてくれて、手伝ってくれます。だからこそ、私が娘一番にして夫を蔑ろにしてはいけないと思ったし、そうしたくもない。夫がいるからこその娘で、娘の父親なので。夫婦仲あっての家族仲だと思っているので、夫を大切にした上で、(私のことも大切にしてもらった上で!笑)、子供を大切にしたいと思っています。相手へのおもいやりと感謝を忘れずに...ですね。 もっと見る:社会, 産後, マタニティー, マタニティーブルー, 産後クライシス, 出産