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と或るクリスチャンのビブリオ

Voice - 『バッテリー』あさのあつこ

2021.12.21 11:50

大変私事なんだけれど、声優を志したことがあります。冬眠する雪だるまです。

今日はそんな感じのおはなし。

ブログなんていつだって私事でしかないと言われればそれはそう。

初めに興味をもったのは、たぶん中学生のとき。

その年の頃に、少しだけ『中の人』の存在を意識しながら ドラマやアニメを見るようになったんです。きっかけは忘れてしまったけれど。


特に、声優さんは、あの作品のこの人と、この作品のこの人、同じなんだってびっくりすることもしばしば。

それから、なんにでもなれる声優さんに憧れて、滑舌が人並みによかったことに感謝しながら、友人と声をバグらせてカラオケで遊んだり物真似をしたりしていました。


当時、ニコニコ動画で歌ってみたがとても流行っていて、わたし名義での投稿ではないものの、友人が投稿した歌みたに短い声劇を載せたことがあります。

中三のわたしの声。ほっそいしたっかいし 本当に素人丸出し声だけれど、楽しかったことだけは覚えてる。



その一方で、わたしは自分の意見を述べるのが苦手でした。

というか、その時には既に苦手になっていました という表現が正しいと思います。


わたしの周りは残念ながら「やりたい」「だから、どの方法がいいか意見が欲しい」という話をすれば、

十中八九「無理だよ」「それよりこっちの方がいい」と返ってくるようなところでした。


そうしたらね、自分の意見ではなくて、周りがこれをいいと思っているであろうものを探して、答え合わせのために意見を述べる子どもができあがるんです。

先陣を切って、積極的に意見を言える子。

TPOを弁えた発言のできる賢い子。

おかげさまで周りのくれる「いい子だね」って褒め言葉が、死ぬほど(本当に死ぬほど)嫌いでした。

これ、ブログでよく話している気がするな(気の所為かもしれないけれど)。


そうしてそのまま、やりたいを押し通せたら良かったのですけれど、結局わたしは「やりたい」に蓋をしました。

それも本当に軒並み、進路でさえも。



わたしの読書遍歴は、バッテリーから始まったと言っても過言ではありません。

いつから手元にあったのか、もはや覚えてないのだけれど、気がついたら全巻わたしのものとして自室にあって、何度も何度も読み直しました。


読み出した頃は、自分の「やりたい」を貫ける巧に羨ましさを感じていました。

どんな目にあっても揺るがない意志があるように見えていて、そこに憧憬と羨望があった。


でも、読み直すうちに、巧のしんどさというか、哀しさにも気がつくようになりました。

周囲に自分を理解してもらえなくて虚しい。そうして理解を求めることを諦めて、一人になってでも我が道を突き進むようになったのではないでしょうか。

周囲を諦めたが故にとった行動の方向性はまるで逆なんだけれど、その根源はわたし自身との共通点でもありました。



フランスの哲学者パスカルは、その著書『パンセ』のなかで

この世の虚しさを悟らない人は、その人自身がまさに虚しいのだ。

と言いました。


旧約聖書の伝道者の書には、こんな御言葉があります。

伝道者の書 1:14
私は、日の下で行われたすべてのわざを見たが、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。


虚しいなかで生き続けるのは本当に苦しいことだと思います。

そのなかでわたしは、何の因果か聖書の御言葉を知って、いろんな御言葉に、いろんな角度で助けてもらいました。

そうすると、ずいぶんと心が豊かになったし、ずいぶんと他者にも優しくなれました。



ヨハネの黙示録 22:17
御霊も花嫁も言う。「来てください。」これを聞く者は、「来てください」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。


なんとなく苦しい人、なんとなく虚しい人。

わたしのTwitterにでも、ここの問い合わせフォームにでも、お気軽に相談してくださいね。

話半分だっていいから。


それでは、また。