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ZIPANG TOKIO 2020「創建は約2000年前、近江最古の大社『白髭神社』湖中の大鳥居 伝説」

2017.08.12 14:55


2005年(平成17年)1月1日 - マキノ町・今津町・朽木村・安曇川町・高島町・新旭町が合併して高島市が発足したが、それ以前に度々合併前の高島郡の知人中川氏や梅田氏を訪ねたのは月日が経つのは早いものでなんと、50年以上も前になる。晴れた日も、雨の日も、雪の日もあった。湖西線の高島駅からも近く、西近江路・国道161号線沿いに建つ白髭神社様には必ず参詣したものである。それは、今思うと近江最古の大社であり、湖の中に建つ鳥居に崇高さを感じたのは勿論のことだが、白髭神社様の御神紋「左三つ巴」と恐れ多いのですが当家の家紋が同じであり、より親近感を持ったことだったと思う。白髭神社梅辻宮司様の江州弁を久しぶりにお聞きして、50年ぶりに故郷に帰ったような気になった。つい最近、秋篠宮文仁親王殿下のご一家も秋篠宮文仁親王殿下が若いころお訪ねになられた伝統工芸筆工房を再び訪問されたようだ。確か旧高島郡は優れた硯を産することでも有名であったように記憶している。

1615年創業の高島市の筆工房「攀桂堂(はんけいどう)」にて筆をご覧になる秋篠宮ご夫妻と悠仁さま=10日午後、滋賀県高島市(代表撮影)


また、今はどうかわからないが、当時釣り好きの人たちはシーズンになると福井県の三方五湖にイカの夜釣りに出かけられたように記憶している。そういえば、織田信長の朽木越えでよく知られた朽木村の林業関係者の方が「どこの県の杉の木を持ってきて山に植えても杉の芯が濃い茶色になり困っておられたが、おそらく土のせいだと思うが、あれから半世紀改善できたのか知りたいものである。
思い出話はほどほどにして、本日のテーマ「近江最古の大社 白髭神社」を紹介いたします。

         「白髭神社の祭り」の夜、境内は人と屋台であふれる


御 祭 神・御 神 徳について

御 祭 神  猿田彦命(猿田彦大神)  御神紋 左三つ巴

御 社 名  白鬚神社   別社名 白鬚大明神・比良明神

御 神 徳  

古事記によると、猿田彦神は「天の八衢に居て、上は高天原を光し、下は芦原中津国を光す神」だと見えている。高天原からこの国土に降る道の途中に、四方八方に分岐する道があり、猿田彦神はそこに居られて道を守り、道を教えた神様である。このことは天孫の降臨について、天孫の一行にその行く手を教え導かれた功績を褒め称えたものである。これは大にしては国の行く手を示す神であり、小にしては道の守り神として悪いものを防ぎ、よき方への導きの神であったことを示したものと言えよう。
古事記には更に、この神の出自をいって「吾は国つ神」とあり、この国土にあって国民のための導きの神であったことを知らしめる。その導きの神徳は「御前に仕へ奉らむとて参向に侍らふ」ともある。天孫を始め、延いては多くの人々の前に立ち、人の世のすべての業や営みを善い方に誘導されたことは、私どもはこの神を信じ奉ずることによって、常にこの神が自分の前に立って善き方に導いて下さることを知らしめるものである。
日本書紀によると、この神は強い力の持ち主で威風堂々たる容姿の持ち主であったようだ。 「その鼻の長さ七咫、背の長さ七尺余、また口尻明りて耀れり、眼は八咫鏡の如くにして耀輝けること、赤酸醤(ホウズキ)に似たり」とある。らんらんたる眼を持った偉丈夫の姿を彷彿とさせる大神である。そしてその威力はこの神に「目勝つ神」はなかったとあるように、その眼力が窺えるのである。この神が岐れ路道におられて睨みを聴かせているのだから、悪いものは近寄ることさえできない。



建物

白鬚神社本殿

白鬚神社本殿は国の重要文化財(昭和13年指定)です。豊臣秀吉の遺命を受け、秀頼公の寄進により慶長8年(1603年)に建立。本殿は檜皮葺きで入母屋造り。桃山時代特有の建築で、片桐且元書の棟札も残されています。屋根続きだが、前の拝殿は明治12年(1879年)の建築。 (モノクロ写真は重要文化財指定時の本殿)

           片桐且元の印判のある慶長8年の本殿棟札


若宮神社

白鬚神社末社若宮神社略記
 ○御祭神 太田命(猿田彦命の別名または御幼名とも・・・社記)             (猿田彦命の裔孫とも云われる・・・神祇辞典)  ○御創建 不明  ○御社殿  本殿と同じ慶長8年(1603年)豊臣秀頼公による再建の記録あり(棟札)  ○現社殿は平成12年10月修復     昭和五十五年高島町指定文化財第一号に指定 


白鬚神社「パワースポット」

              パワースポット

上の宮
上の宮とは、本殿後ろの石段上にあるお社を総称する名前で、伊勢両宮(天照皇大神宮・豊受大神宮)・八幡三社(加茂・八幡・高良)・天満神社・波除稲荷社・岩戸社と、寿老人社・弁財天社の10柱のお社である。 (写真は手前より八幡三社・天照皇大神宮・豊受大神宮で、平成12年高島町指定文化財第1号に指定。平成の修復で現在は新殿となった。)


八幡三社(三所)の相殿。中央は八幡神社・向かって右は加茂神社・左は高良神社が奉祀されている。社記によると創建は天文8年(1540年)、右側の伊勢両宮と共に領主佐々木義賢の奉納。


天照皇大神宮(内宮) 御祭神は天照大神。高島町指定文化財。平成13年修復。


豊受大神宮(外宮) 御祭神は豊受姫命。高島町指定文化財。平成14年修復。 


天満神社 御祭神は菅原道真公。平成11年に移転修復。(以前は八幡三社の南軒下にあった。)


波除稲荷社 現社殿は、平成17年に修復


寿老神社 御祭神は寿老神。昭和63年西近江七福神巡りの一つになったのを記念して建立。


鳴子弁財天社 御祭神は弁財天。昭和初年から社務所や宮司宅で奉斎していたが、大阪の信者によって社殿が建立寄進された。


岩戸社 境内の一番上手にある石室(古墳)の前に社を建て、天の岩戸として奉祀。

手水舎(手水鉢)

現在の建物は昭和62年4月、白鬚神社延齢会によって再建されたもの。銅板葺きで総檜造りの風格ある建造物である。  手水鉢は明治14年9月、京都延齢社によって寄進された。  なお、建物の後ろにある池のほとりには、与謝野鉄幹・晶子の歌碑が建つ。

○与謝野寛・晶子 句碑(手水舎横)  しらひげの 神のみまへに わくいづみ          これをむすべば ひとの清まる                          上の句…寛、下の句…晶子

大正初年参拝の2人が、社前に湧き出る水の清らかさを詠んだもので、上の句は寛(鉄幹)、下の句は晶子の作である。  大正7年(1918)京都延齢会が手水舎を再建、その記念として同年12月この歌碑を建立した。揮毫は寛の手であり、全国にある与謝野の歌碑の中で最も古い頃のものといわれる。


○芭蕉 句碑(境内旧街道南出口付近)  四方より 花吹き入て 鳰の湖  この句は芭蕉47歳の時の作である。  安政4年(1857)蕉門の人たちによって建立。

○紫式部 歌碑(石段上 南)  みおの海に 網引く民の てまもなく             立ちゐにつけて 都恋しも
源氏物語の作者紫式部が、平安時代の長徳2年(996)、越前国司として赴任する父藤原為時に従って、この地を通った時に詠んだものであり、「近江の海にて三尾が崎といふ所に網引くを見て」という詞書がある。  昭和63年(1988)4月紫式部を顕彰し、高島町観光協会が建立。 

○羽田岳水 句碑(石段上 三社南)  比良八荒 沖へ押し出す 雲厚し  羽田岳水は「馬酔木燕巣会」主宰、昭和49年の作。  碑は平成2年(1990)5月に機関誌「燕巣」400号を記念して、「比良八講」ゆかりの当社境内に建立。

○中野照子 歌碑(石段上 天満宮南)  吹き晴れて 藍ふかまれる 湖の   光となりて かへりくる舟  中野照子は滋賀県大津市出身で、「好日」編集責任者。  中野照子歌碑建設委員会が平成16年(2004)5月に建立。

狛犬(拝殿前向かって左=吽形              同右=阿形


社務所

白鬚神社社務所は、昭和8年の建築。当時の粋を集めた建造物で、昭和の文化財としての価値が高く、平成14年3月に文部科学省により、国の登録文化財に指定。 (下のモノクロ写真は竣工時の社務所)

永代常夜灯

白鬚神社永代常夜灯は、江戸時代に京都の近江屋藤兵衛氏が奉納されたもので、以前は湖岸に立ち沖往く舟の灯台としての役割を果たしていた。  常夜灯の石柱には、(前=琵琶湖側)白鬚大明神、(後)永代常夜燈、(右)海上安全心願成就の文字が大きく刻まれている。
建立は天保4年8月、願主 紅 近江屋藤兵衛 発起京都 早藤卯左衛門 松尾卯兵衛の名前も見える。


モノクロの左の写真は明治時代の風景で、かつては琵琶湖岸の石垣上に立っていた。右は昭和初年江若鉄道が開通し、線路と国道の間に並木ができ、常夜灯はそこに移された。その後、江若鉄道の廃線・国道161の拡幅のために撤去されていたが、平成16年4月に再建された。


JR近江高島駅の南約2kmにある神社。湖中に朱塗りの大鳥居があり、国道161号線をはさんで社殿が立つ。「白鬚さん」「明神さん」の名で広く親しまれ、また、「近江の厳島(いつくしま)」とも呼ばれています。  社名のとおり、延命長寿・長生きの神様として知られ、また、縁結び・子授け・開運招福・学業成就・交通安全・航海安全など、人の営みごと、業ごとすべての導きの神でもあります。祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)。  創建は約2000年前、近江最古といわれる歴史を誇り、現在の社殿は豊臣秀吉の遺命によって、その子秀頼が片桐且元(かたぎりかつもと)を奉行として造営したものです。本殿は正方形の明解な平面で、明治時代の拝殿再建の際、本殿に接続させたために現在のような複雑な屋根形式になっています。  水平線に浮かぶ沖島を背景に、湖中の鳥居を通して漁船が行きかう風景が美しいです。また、9月5、6日の例大祭には、京都・大阪を始め全国から多くの参拝者があります。また境内には、明星派の歌人である与謝野鉄幹・晶子夫婦が神社を訪れた時に詠んだ歌を刻んだ歌碑があります。 〈重文〉本殿

★湖上の鳥居ライトアップ★ 日時:①土曜・日曜日  日没から約2時間    ②9/5       日没から午後10時頃まで    ③大晦日     夜明けまで    ④1/1〜1/5    日没から午後9時頃まで 

所在地 高島市鵜川215 アクセス 公共交通機関 JR湖西線 「近江高島駅」 下車 車 5分 駐車場 普通車 50 台 お問い合わせ 白鬚神社 TEL:0740-36-1555

               白髭神社近くの白ひげ浜


鵜川四十八体石仏群

白ひげ浜付近で国道161号線を逸れ旧西近江路を北進すると、草深い山中の墓地に、高さ1.6m、花崗岩の阿弥陀如来像群が見られます。東を向いて静かに並んで座る石仏は、大きさも少しずつ異なり、慈愛に満ちた顔・あどけない顔・ユーモラスな顔など、姿もそれぞれ異なっています。近年までは、室町時代後期に観音寺城(現安土町)城主の佐々木六角義賢が亡き母の菩提を弔うため、観音寺から見てちょうど対岸に1553年に建立したとの説が有力でしたが、京都冷泉家の冷泉為広の「為広越後下向日記」の記載から1491年には既に存在が知られており、さらに地元の古文書「小松之庄与音羽新庄与境論目録=伊藤家文書」に1436年の境界争いの記録に「四拾八躰」の文字が見られることから、従来の説を100年以上遡ることが分かってきました。その由来は、再び謎に包まれることになりました。 現在、鵜川には33躰安置されており、13躰は江戸時代に移されて大津市坂本の慈眼堂に、残り2躰は行方知れずになっています。


 湖中大鳥居

由来=古来波打ち際に鳥居が見え隠れしていたとも、天下変災の前兆として社前の湖中に石橋や鳥居が突然姿を現したとも言われる。(社伝・社記)
湖上交通の盛んな頃、舟でのご参拝の目印でもあったか?

        湖中鳥居(向こうに見えるのは琵琶湖最大の島=沖の島)

伝説鳥居の復興=昭和12年 小西久兵衛氏(大阪道修町の薬問屋)が単身でご寄進      現鳥居は昭和56年琵琶湖総合開発の補償事業で建立      国道端より58.2m沖  高さ(湖面より)12m 柱幅7.8m

鳥居復興碑  (碑文)   古來琵琶湖西岸白沙青松之間有白鬚神社 奉祀猿田彦命焉華表在于湖中由水之増減 而隠顯旧記所傳不一藏   神秘於冥々中矣大 阪篤志家小西久兵衞氏嘆其朽廃新建之於 湖中以献神前洵可謂美擧也是不獨慰神靈 亦可  以風励人心矣乃勒之于碑云爾     昭和十二年十月

                                 鎹八咫烏 記



鎹八咫烏 記

伊勢「斎宮」明和町観光大使



協力(順不同・敬称略)

白髭神社 〒 520-1122 滋賀県高島市鵜川215番地 電話 0740-36-1555

公益社団法人びわこビジターズビューロー 
〒520-0806滋賀県大津市打出浜2-1 「コラボしが21」6階 電話 077-511-1530

日原もとこ 東北芸術工科大学名誉教授 風土・色彩文化研究所 主宰 まんだら塾塾長