「古代の冬至祭」
Facebook清水 友邦さん投稿記事 「古代の冬至祭」
12月22日は冬至です。
ゲルマンもケルトも太陽の力が最も弱くなる冬の冬至が一年のはじまりと考えていました。
太陽の力が強くなる冬至の翌日が新しい年の始まりなのです。
はるか古代の人々は大地の恵みをもたらす女神に感謝して冬至に世界の安定と繁栄を祈る豊穣の祭儀をおこなっていました。
ニューヨークのハロウィンの習慣はケルトの末裔のアイルランドの移民がもたらしたものです。
かつてはヨーロッパの主だったケルトですが、その後、他の民族に押されウエールズ、スコットランド、アイルランド、フランスのブルターニュに生き残りました。
その後19世紀にケルトは再び放浪の民となり、飢饉で200万人以上のアイルランド人がアメリカ大陸に移住しました。
本国のアイルランドは400万人ですがアイルランド系アメリカ人は現在、全米に4,000万といわれます。
鉄鋼王カーネギーや電話を発明したベルにレーガンやケネディ、クリントン大統領もアイリッシュです。
アイルランドでハロウィンは純粋な形で残っていましたがイギリスではすたれてしまっていたようです。
19世紀にアイルランド移民がおこなわれたあとアメリカから逆輸入された米国版ハロウィンがイングランドで普及していきました。
カボチャをくり抜いたランタンを作り、幽霊、魔女、精霊、神話の怪物などに扮した子供達が「お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ」と家々をまわりました。
フランスの昔クリスマスは子供たちが変相して徒党をくみ寄付や食べ物をうるさく責め立てて要求したといいます。
ハロウィンはキリスト教のお祭りという事になっていますが元々はケルトの祭りがルーツだったのです。
ケルトの一年は冬と夏に分かれていて、最も重要な日はケルトの大晦日にあたる10月31日がサウィン祭でした。11月1日は夏が終わり冬が始まる一年のはじまりです。
夏の放牧が終わるサウィン祭で家畜は一カ所に集められ、繁殖用を除き、すべての家畜は殺されました。
部族全員は聖地に集まり生と死の儀式を執り行ったのです。
フランス東部の農村とロレーヌ地方では豚の屠殺をクリスマスの2週間前に行ないます。
肉は親戚、地主、司祭、友人に振りまかれ、それとは別に家族や友人が集まって肉を腹一杯食べ、そして屋根に登って豊穣の祈りをとなえ、豚の肩の骨を遠くになげる習慣がありました。
聖なる豚の供儀は、はるか遠い神話時代から現代まで途切れる事無く続いている、聖なる冬の祭りの痕跡なのです。
生者たちは霊を丁重にお迎えをして贈り物をします。
そうしなければ、来年の穀物や家畜の増産を得られないので、病気や災いが起ってしまう恐れを持っていました。
再び豊かな収穫を得る為に霊に気持ちよく死者の世界へ帰ってもらうのです。
これがクリスマスやハロウィンなどの冬の祭りの基本構造でした。
古代の地母神崇拝がキリスト教の祭に受け継がれたのがハロウィンやカーニバルやクリスマスです。
古代ローマでは冬至にローマ最大の農耕神の祭り「サトゥルヌナリア」が盛大に行なわれました。
祭りの間、役所や学校、商店は休み、身分の垣根が取り払われ、召使いが主人の席に座り、主人が召使いの為に給仕をしました。
男女は衣装を交換しあい、性の快楽に身をゆだね、無礼講で酒を飲み、御馳走があらゆる人々にふるまわれました。
古代世界で冬至は太陽の「死と復活」のお祭りでした。
それがキリストの誕生に受け継がれました。
クリスマスの起源は古代の冬至祭だったのです。
アメリカ先住民ホピ族ではカチーナと呼ばれる様々な精霊が冬至の季節に来訪します。
カチーナは村でダンスをしたり、作物やお菓子を与えたり、子どもに罰をあたえたりします。
マストプとよばれるカチーナは群衆の中から既婚の女性をひっぱりだし性交のまねをしたあとキバと呼ばれる儀礼の場所に下りて行きます。
オーストリアのザルツブルグ近郊の村では古い習俗が残されていて悪魔そっくりの恐ろしい仮面をかぶった醜いペルヒタが箒で村人をたたき、泣く子を捕まえて説教をたれます。
箒で叩かれると病気にならないと信じられているので皆喜んでたたかれました。
醜いペリヒダは本当は悪魔ではなくて、冬を追い払い村や作物を守護するために醜い姿になったといいます。
ペリヒダは生と死、美と醜、善悪の二面性を超えた偉大な存在でした。
古代ヨーロッパのゲルマン人はペルヒタとホルダという女神を信仰していました。
この女神には二面性があってかつては冬至と夏至の季節の変わり目に美しいペルヒタと醜いペルヒタの両方が出て来る祭りがあったという事です。
ペルヒタはキリスト教以前の豊穣と夏の光輝くやさしい神であり、死者と冬をつかさどる恐ろしい神でした。
ゲルマンの地にキリスト教がやって来るとペルヒタは分裂してしまいました。
自然信仰の時代の精霊や女神はキリスト教の時代になると悪魔、魔女として恐れられるようになってしまったのです。
スイスではクロイセと呼ばれる精霊に扮した男性が恐ろしい仮面と毛皮をかぶり家々を廻って子どもを脅します。
オーストリアではクランプスと呼ばれる妖怪が聖ニコラスと一緒にやってきます。
昔のロレーヌ地方の聖ニコラスの祭りは聖ニコラスの仮面をつけた男と陰気で不気味なむち打ちじいさん(フェッタール)が登場します。
このむち打ち爺さんは毛深く汚い事が特徴です。子供のいるすべて家を訪れたそうです。
良い子には聖ニコラスがお菓子をくばり悪い子の場合はむち打ちじいさんが枝の鞭をふりジャガイモの皮を置いていかれたといいます。
似たような話は探せば世界中にあります。
怖いむち打ちじいさんは秋田県男鹿半島のナマハゲそっくりですし、アメリカ・インディアン、ホピ族の精霊オグル・カチーナの役割はナマハゲと一緒です。
いずれも彼らに贈り物をして異界に帰ってもらうのです。
古代の人々は冬に死者の霊が訪れると考えました。霊に贈り物をして来年の穀物や家畜の増産を得る為に気持ちよく死者の世界へ帰ってもらうのです。贈与の儀礼と言って、丁重なおもてなしをしなければ病気や災いが起ってしまう恐れがありました。
これがクリスマスやハロウィン、カチーナなどの冬至の祭りに共通する構造でした。
ケルトで生け贄は霊の象徴で、それを犠牲にすることによって新しい生命がよみがえり大地の豊穣性が増すと信じていました。
クリスマスツリーはアルザス地方からはじまったとされています。
しかし古代のオークの木には人身供儀が捧げられていました。
ツリーの飾りは贈与の儀礼の名残だったのです。
昔、冬至に丸太を運んで燃やし豊作を祈願してその灰を畑に撒いたりしました。その習慣が消えると同時にビュッシュ・ド・ノエルを食べる習慣が始まりました。
それは太古の昔から続く冬至祭の贈与の儀礼のなごりでした。
なぜクリスマスに丸太のケーキを食べるのか、現代人はその理由をとっくの昔に忘れてしまったのです。
キリスト教以前の古代社会は母系社会で作物の受粉の象徴として男女が誰とでも自由に性を交歓する豊穣の祭儀がありました。
男性原理が強い地域では父親の権威で婚姻が決められていましたが、聖カタリナの祭りでは娘がダンスの相手を自由に選べました。
昔の欧州の祭りでは女だけが友達をよんで気晴らしをする特権があったのです。
欧州の各地でクリスマスにヤドリギの下でキスをする習慣があります。
ヤドリギの下で女性はキスを拒むことはできないとされています。
この習慣ははるか古代のケルトやゲルマンからきています。
その源は豊穣の祭儀のように激しいものだったでしょう。
狩猟時代、動物の捕獲は生存に関わる大問題でした。そのため人々は動物の繁殖を祈って儀式を執り行ったのです。雄の動物に似た格好をして動きをまねて踊り、雌の動物役の女性と交わる祭儀が石器時代からおこなわれていたのです。
神話の研究によるとディオニソスはギリシャ文明よりも遥かに古い複数の異なる神の融合神だとされています。
ディオニソスのまわりには常に神に憑依され半狂乱に陥った女性達マイナデスがいました。
理性的な自我の壁を取り払うことで根源に回帰したのです。
ディオニュソスの狂宴は酒を飲み、仮装して、歌い踊るカーニバルや復活祭に受け継がれました。
人工的な都市で去勢された人間にとってディオニュソスの狂宴とは野生のエネルギーを上昇させて理性に閉じ込められた魂を再生させることでした。
肉体から魂が解放され恍惚の中で生命の根源と出会い、聖なるものとなる構造はヨガや密教、密議宗教、カバラ、グノーシス、スーフィーと共通します。
部族社会では危機に陥ったとき祭りを行ないます。火を焚いて、そのまわりで歌い踊って不安や怒りのストレスを解放させて希望や勇気を回復させるのです。
本来、祭りには心身の危機を克服する変容、統合の機能がそなわっていました。
ピラミッド構造の底辺で機械にされ、苦しくて単調な日常の繰返しに疲れているのが現代社会です。
近代合理主義によって、人々は神話を失い神聖なものとの繋がりが断たれ、自分が誰であるかすっかり忘れてしまっています。
形骸化された祭りが本来の姿を取り戻したとき、大地から上昇するエネルギーが魂を甦らせるでしょう。