片埜(かたの)神社
大阪府枚方市牧野阪にある片埜神社は、スサノオ命、菅原道真を主祭神とし、他十柱の神様をお祀りする神社です。
こちらの神社は、『嫁いでみたらわかった神社のひみつ』と、いう本を昨年(2016)に購入して知った神社です(^^)
著者の方が実際にこちらの神社にお嫁に来られた苦労話とかいろんなことが書かれている本です。
購入して3日とかからず読み終え、是非一度参拝したいと思っていた神社です(^^)
こちらの神社は能義神社でお仕えしていた野見宿祢が、天皇の命により大和国の当麻蹴速と力比べ(現在の相撲)で勝負を行い、この地を褒美として頂いたことにより始まったとされています。
戦国時代には、豊臣秀吉から大阪城の鬼門鎮守のお社として崇敬された神社でもあります。
↑ 鬼門封じの鬼面
↑ 本殿
↑ 本殿についての案内板
↑ 2枚 東門と東門の案内板
↑ 牛の像
ちゃんとご神文の梅がありますね(^^)
↑ 神社裏手にある阿弖流為・母礼の首塚の碑
↑ 2枚 阿弖流為・母礼の首塚
阿弖流為(あてるい)・母礼(もれ)とは、桓武天皇の時代に東北地方を治めていた首長で、朝廷の権力下に入っていない人たちがいました。
朝廷はその人たちを蝦夷(えぞ)と呼び、征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)と云う、武士の中でも強い人をその任に当て、朝廷の支配下に置こうとしていました。
阿弖流為はその蝦夷のリーダーで、母礼は阿弖流為の母でした。
阿弖流為は現在の岩手県の地方を治めており、朝廷の治世に反対していました。
桓武天皇は大伴弟麻呂と坂上田村麻呂を送り、阿弖流為は敗北しました。
阿弖流為と母礼は処刑され、その首塚と云われるのが、ここの首塚です。
↑ 壮麗な本殿
御朱印を頂いたとき、丁度ご神職になられた著者の岡田さんが居られ、お話をすることが出来ました(^^)
お話の中で、神社の創建についてお聴きすることが出来ました。
元々は、神社では無く野見宿祢の御屋敷で、そのお屋敷の中でお祀りをされていたんだそうです。
そんな貴重なお話をお聴きすることができた、とても有意義な参拝が出来ました。
皆さんも『嫁いでみたらわかった神社のひみつ』を是非ご一読して頂き、片埜神社の歴史に触れてみてはいかがでしょうか(^^)
野見宿禰の陵墓と菅原天満宮については↓↓↓↓↓こちらから