火照命、火須勢理命、火遠理命
今回は、この三兄弟の神さまに関して書かせていただきます。
と、申しましても、ホデリさまとホヲリさまに関しては、「山幸海幸」の関連で、大事なことは殆ど書いております。
なので、重複するので「山幸海幸神話」に関することは書かず(実は、それ以外にはあんまりありませんが...)に、三柱に共通することや、ホスセリさまを中心に書いてみたいと思います。
火照命 (ほでりのみこと=海幸彦)
火須勢理命 (ほすせりのみこと)
火遠理命 (ほおりのみこと=山幸彦)
父神は天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(ニニギさま)
母神は木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメさま)
ご存じの通り、産屋に火を放ってその中で出産されたので(詳細は「木花之佐久夜毘売と誓約」を参照ください)、いずれも「火」に文字が入っておりますが、実はこの「火」は「ホ」と発音され、「穂」に通じるものとされており、火が盛んに燃えることを稲が成長するさまに例えたものだといます。
つまりこの名前のごとくで、第一子(火照)は「稲が赤く照り輝くさま」、第二子(火須勢理)は、「稲が成熟するさま」、そして第三子(火遠理)は、「稲が実ってたわむさま」を現した名前だと説かれています。
さて、ホデリさまとホヲリさまは「海幸山幸」としてその後、古事記に登場いたしますが、第二子のホスセリさまは、その後全く登場なさいません。
さらに日本書紀にはまったく登場なさいませんが、ホスセリという名前ではなく、違う名前でここに登場されている神さまがおり、このかたがどうやらホスセリさまのようですので、ここではそれを紹介します。
日本書紀はご存じのように、「本文」とその他の一書に分かれていますが、火闌降命(ほすそりのみこと。本文・第八の一書)、または火酢芹命(第二・第三・第六の一書)が登場しています。
まず本文においては、「隼人の祖」としております。
これは、ホヲリさまが、ホデリさまを溺れさせた箇所に関しては、ホデリさまでなく、ホスセリさまを波で溺れさせて降参、服従させたことになっています。この部分は古事記にはありません。
また、その他の一書(第八の一書)では、ホデリさまの事績はずべてホスセリさまのことだとして書かれています。つまり、海幸はホデリさまではなく、ホスセリさまだということです。
さらに別の一書(第二・第六の一書)に於いては、ホスセリさまが長子だと書いてあります。
これらのことから想定されるのは。古事記の編纂者が、ホデリという神を創作して、ホスセリの事績を移したものであるという見方ができます。
では、なんでそんなことをしたのでしょうか??
これは、色々なことが想定されるのですが、まず、大原則として、日本書紀=歴史書、古事記=歴史書に基づいたフィクションということを踏まえ、かつ、あくまでもいま筆者が書いている段階では、古事記に寄った物言いで申し述べますと以下になります。
①「スセリ」の意味
すせりという音できづくことがあります。
須勢理毘売命(すせりびめ)さまです。このおかた、スサノオさまの娘神さま、そしてあの大
国主命さまの妻神さまです。
すせりとは、「進む」という意味です。積極的な意思をもつ意味です。
そして重要なのが「誓約」で誕生したこと、その原因はニニギさまに「国つ神の子でない
か??」と疑われたことが原因でした。
コノハナサクヤヒメさまは、どうして「浅間信仰」になったのでしょう??
さらに、それだけでなく、そうして「富士山」の神さまなのでしょう。
実はそれを説く鍵のひとつが、ホスセリさまの名前に隠されているのですね。
うーん、これより先は、この記事の主題が変わってしまうので、これはここまでにしま
すが、要するに筆者的には、山幸、海幸同様、大事な役割を持って、それを全うした(しか
し、古事記とは別の世界で...)と、解釈しています。
② 古事記は「三つ」が基本
これまでもそうでしたが、古事記で大事な記載はほとんど三つが基本です。まず、造化三
神、さらに三貴子。
造化三神では、天御中主神さまはほとんど記載がありません。 (これは実に異があります。
でもいまの段階では辛抱して書きません。いずれ...)
三貴子はツクヨミさまも詳しく記載がありません。(同じくこれも大変異を唱えています。
でも、これもいずれ...)
そしてこの三柱も、ホスセリさまがその例になっています。
これは、古事記特有の「何もしない神を置くことで、バランスをとっている」という「中
空構造」だと言われております。
実は、もうひとつ、大きなヒントが「天孫降臨」に隠されているのですが、それは、やはり②でちょっと書いた「異議」と同じ類です。
このブログは前述のとおり現段階では、あくまでも記紀、特に古事記を最重要視しておりますので、これも、別の機会に書かせていただきます。
あ、②のみっつは必ず書きます。
なぜなら、筆者の目指すところはそこ、「日本の神話の意図してなくされたパーツを取りもどし、完成形にすること」で、上記の3つは必ず触れなくてはならない大事な項目ですから。
ちょっと尻切れトンボで、後々に課題を残しましたが、ここはとても大事なところなので、敢えて、こんなかたちに神様紹介になりましたことをご勘弁いただきたく存じます。