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生島尚美さんエッセイ / バリ一代ドタバタ記 (生々流転vol.23より転載)

2017.08.15 10:32

第11回「爆弾テロ事件とsisiの転機」

2002年のバリ島爆弾テロの犠牲者の名前が刻まれた慰霊塔「グラウンド・ゼロ」


 バリ島・ウブドでやっていける! と夢が現実となってきつつあったあの頃、あれ、が起こったのです。


 2002年10月『バリ島爆弾テロ事件』。

  私は普段バリ島・ウブドに暮らし、この悲劇が起こったクタにいることはまずない。ウブドから車で1時間ちょっとかかるこの場所。この10年で用事があり行ったことは2、3回のみ。ましてや泊まったことはこの20年でたったの1日。


 それがよりによって「あの日」だったのです。
  あの日は本当にたまたまクタに引越したジャカルタ人の友人をたずねて「こんな機会だし泊まってみる?」と隣人を誘って行ったのでした。テロの起きた瞬間にはちょうどお茶を飲んでいたカフェが停電し、15分程で復活したので、いつものこと、と特に気にしていませんでした。たくさんの消防車が南に走って行く様子を見ながら「えらく酷い火事やね」なんて赤く光る空を見て心配していました。
  翌日ホテルのNHKで初めてそれが「テロ」であると知ったのでした。
  たくさんの被害者が出て、実はテロの1時間前にお店の前で友人を下ろしていた私たち。ゾッとする余裕もないほど、ただただ呆然でした。その後、チャリティTシャツを友人知人と作って販売したり、被害者の家族に収益金を直接持って行ったり、などなどしたことを思い出します。


 同時に、その悲惨なテロの後、全く、と言っていい程お客さまがいなくなってしまったバリ島。ちょっとずつできてきたウブドの同業者の皆さんが、会うたびにあいさつのように「お客さんが全然いなくて本当に大変」とおっしゃっていました。「sisiさんも大変でしょう」と言われるのですが…
 毎日100人お客さまがいらっしゃっていたお店が、テロでお客さまがゼロになったら本当に大変だと思うのですが、当時のsisiのように1日お客さまがいらっしゃることがあるかないか、のお店がゼロになっても実はあまり影響はないのですね。
ありがたいことにそのころ増えつつあった卸(主に日本のネットショップさん)のお客さまの売り上げがメインとも呼べる時だったので、売り上げとしては当時の”sisi”は実は全く問題なかったのです。
 だからこそ、チャリティなどに力を入れることができたのだと思います。


 バリ島のリピーターさんなど「ファン」は やっぱり強い!お客さまがいらっしゃらなくて大変だった時期は数ヶ月で年末にはまた観光客がしっかり戻っていました。
 「やっぱり観光地で観光客向けにビジネスをしていてはダメなんだ」などと分かったような事を偉そうに思い、言っていた時期でもありました。


 ところが、実は年が明け、ちょっとしてから、またまたsisiに転機が訪れました。
 なんとメインの通りのひとつであり、私も大好きな「ハノマン通り」に格安の物件を発見し、sisiが期間限定でお店を開けることになったのです!
 上記の用に「観光地で観光客向けに〜」なんて言ってたのは実際テロの後、痛いほど感じたことではありましたが、ハッキリ言って予算のない極貧人間の「負け惜しみ」以外の何ものでもなく!
 「ま、これだけ安いならやってみても悪くはないかも?ねぇ」なんて誰に言うでもなく言い訳してそそくさと契約したのでした。
 びっくりしたのは開けたその日から売り上げがあったこと! テロ後で観光客はほとんどいない。誰も”sisi”がハノマン通りにオープンした、とも知らない。さらに”sisi"すら知らない方がもちろんほとんどの時に!


 「観光客じゃないお客さまも、観光のお客さまも両方大事!」とすぐさま前言撤回した私でした。