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ゴッホの木、その深い意味

2017.08.15 14:28

【炎のような樹冠型・イチイの型】(イチイ、糸杉、西洋ネズ):       糸杉は自殺の約1年前のサン・レミ以降に、病態が重くなってからモチーフとして選ばれた。若い時は葉の茂みの無い、痛々しく剥き出しに描かれた細長い幹は殆ど隠され、糸杉の火炎の様な樹冠に取って変わった。サン・レミ(精神病院)時代がゴッホ芸術のピークだと言われているが、表36)「星月夜」の糸杉は渦巻きの様な星に黒々として漂うかのような糸杉で、下図のムンクの樹木に通じる生命の深いところからの噴出が描き出されているように見える。この頃、発作が繰り返され、サン・レミの精神病院に収容されている中で描かれていた。

 ボーランダ—(1977)は、「糸杉を描く人は、情緒領域と精神領域の関係が反対になって非合理な考えにいつも心を開き、形式的な儀式性を愛するのが特徴である。」、「挫折に弱い〈炎型〉で、目標指向型だが、熱狂的で不規則であり、エネルギー浪費傾向がある」、「神話、神秘体験、古代の宗教に強い関心を抱いている場合も有る」等、と述べていて、ゴッホのパーソナリテイーを示唆しているように思われる。

 作品 表 40)の糸杉の場合は,十字架のようにそびえ立ち,宗教的な儀式性、祈りが込められている様に見える。西洋では、キリストの十字架は、糸杉で出来ていたと言われている伝説がある。また、糸杉の有する意味は、死、哀悼、絶望とされる。この絵は,木と同時に月や星が昼間にも表現されている。その事からも宗教観溢れるゴッホの境地を表した作品と思われる。弟テオが、「兄は・・・少し経つとすぐに神学や哲学に関することをわめきちらすのです」とアルル時代、許嫁のヨハンナに手紙を書いていることからも符合する。また,実際、ゴッホは書簡にも多くの宗教的な考えを書き残し、生死を超越した心情が強く表れている。

 糸杉は動勢が強く、動くように描かれている。ゴッホは,「海岸の断崖絶壁の上に<中略>目がくらんでしまうのだ」(書簡B18[15])とのべ、「悪夢の中で目眩の発作に襲われる」、「燃えるような光の中で<中略>無限の中に消えていく平野を描いていると眩暈がしてくる」(書簡W4,325)と書いている。ルービン(1979)。こうした不安定であるが、エネルギッシュなゴッホの木と書簡から、光線の弱い北国オランダ育ちのゴッホが、南フランスの乾燥した空気と強い太陽光線の異環境に加え、安酒と煙草で神経に変調を来していたと推測される。ゴッホの眩暈の状態が投影され、超主観的でかえって、普遍的な真実に通じる何かを表現していると思われる。糸杉の葉に見られる曲線は渦巻き、螺旋、唐草模様のように、ゴッホの心性を投影したと言えるだろう。

 バウムの視点から葉をペルソナと捉えると、葉が無いのは、対人関係を拒否する場合と、対人関係を持ちたいけれど、それができない場合に考えられる(塩月源洋、2007)。ゴッホ自身、孤独になってしまう自身の傾向を,文や絵の仕事をしていく上では良いと認めていた。しかし,何度も女性との関係を持ちたいと努力し、ゴーギャンに同居を呼びかけたりしたことを考えると、前者でなく後者であったと推測される。自殺一年前位から,糸杉に見られる様にゴッホは此までになかった大量の葉を描き出した。沢山の樹冠をつけた糸杉を描き始めた。この頃のゴッホの心の状態を書簡が語っている。「この病院でのように、規則に従わねばならない場合、心の安らぎを覚える」(書簡589)ここからは、若い時に描いたバウムが意味する、環境との不協和音、枠にはまりきらない反発、自由の欲求とは逆の事柄がこの書簡には書かれている。ゴッホは病院という社会、枠組のある中で守られた安定感を感じていたようだ。その中での心の衣が、豊富な葉、樹木画に投影されている。

 糸杉の緑色は強いエネルギーを感じさせる。仮に,ゴッホの糸杉の緑色を赤色に置き変えてみる。糸杉は正に炎上している姿になる。同様な印象を与える画に日本の早世した画人、速水御舟の「炎舞」(40)がある。それをゴッホの糸杉に並べてみると、火炎の持つ原始的で直截的な力が浮かび上がる様に感じられる。ゴッホの糸杉も,燃えさかっているように見える。投影したゴッホの心は燃えていたと思われる。しかし、描くと言う行為は着実に行われていた。あくまでも尋常でない自己の精神状態を,冷静に見つめて描写するゴッホが存在した事は、狂気を見つめるだけの正気が、彼の中に存在したと考えられる。自己を客体化出来るゴッホの客観性が,狂気の合間にもなお存在した事、即ち,正常に機能し続けた強靱な自我の存在が判る。筆者はこの強靱な自我の存在が、狂気であっても、狂気に飲まれていない凛とした天才とされる所以であると考える。