インパール作戦
毎夏、インドから日本に帰国しています。日本で夏を過ごしていつも良かったと思えることの一つは、戦争をテーマにした番組を観られることです。
戦争に関する番組を観ると、戦後の平和は意識的に維持されてきたこと、この平和は、戦中に悲惨で残酷な時代を過ごさざるを得なかった世代の人々によって築かれたこと、そして、私たちにはその平和を築いてきた世代の人々に感謝しながら、平和を維持する責任があるということを、改めて感じます。
私は、学生時代、ウルドゥー語劇「はだしのゲン」を印パ公演に参加しました。「ゲン」を公演するにあたって、原爆に関する本を読んだり、広島に足を運んで語り部の方のお話を伺ったりしました。広島や長崎では、小学校などで平和教育が行われているそうですが、東京で生まれ育った私には、「はだしのゲン」を演じるまで、戦争や原爆に対する漠然とした恐怖しかなく、戦争や平和について意識して考えたこともありませんでしたが、戦争について勉強する中で、戦争に対する恐怖がこの平和な社会を作っているのだと考えるようになりました。大学卒業後、就職・大学院進学・転職・カタック留学と、日々の生活に追われ、以前ほど積極的に勉強する機会は減っていますが、戦争に関するニュースや番組がTVで流れると気になります。
特に今日は、NHKスペシャル「戦慄の記録 インパール」を観て、いてもたってもいなくなりました。涙が止まらず、居た堪れない気持ちがこみ上げてきました。
インパールは、インドの北東部マニプル州の主都で、ミャンマーとの国境付近にある都市です。第二次世界大戦末期、ミャンマーを占領した日本は、英領インドの英軍の拠点のあったインパール侵攻を計画しました。
偶然、2年前にインパールを訪れる機会があり、戦場となった「レッド・ヒル(Red Hill)」と呼ばれる場所に建てられたインパール作戦平和の碑を拝んだことを覚えています。車で山道を延々と走ったところにあり、ちょうどその年は、戦後70年で駐印日本国大使も訪れて、公式の式典も行われていたようでした。
番組によると、当初3週間の予定だった計画は、4か月に引き伸ばされ、物資や戦力の差を度外視した無謀で強引な戦は、戦死、餓死、病死、追い詰められた兵士たちの自殺など、多くの命を無駄に奪ったと言われています。計画性のない計画により、戦争そのものよりも飢えや疫病などで亡くなった方が、死者の6割だったそうです。また、自決したり、食糧難に耐え切れず、仲間を共食いしたり、その肉を物々交換することさえ、当たり前だったそうです。
さらに、番組内では、関係者の残した手記、公文書、インタビューなどが盛り込まれ、侵略の背景に、日本陸軍内の暴走、不当な人事、ヒエラルキーによる圧力などが存在し、戦後も責任の擦り付け合いがあったことも、浮き彫りにされています。当時、何人もの指揮官・司令官などが、この侵略に対して無謀だと意見したにも関わらず、その意見は聞き入れられず左遷され、あるいは彼らは自ら意見を述べることを諦め、その結果、侵略計画は実行されたそうです。
当時、戦場で戦った方のインタビューに胸が締め付けられました。自爆するときは、皆お母さんまたはお父さんの名前を叫んで突撃していったこと、足を負傷した戦友と一緒に連れて帰る約束をしたのに彼の足のために5分置きに立ち止まることが耐えられず、置き去りにせざるを得なかったこと、目の前で痛みを叫ぶ兵士の姿…。
また、当時の日本軍が進駐していた地域に住む人々のインタビューもありました。日本軍の兵士が歌っていた軍歌を今も歌える人、食糧にしていた家畜を奪われた人、毎朝が死体の整理で始まった人、英国軍に突撃する日本兵を見た人…80歳以上の人々の口からは悲惨な証言ばかりが飛び出します。そんな証言を残している彼らが、当時子供だったことを考えると…。
インパール周辺の地域は、世界で最も降水量が高く、インパール作戦が行われた年は、数十年に一度の大雨で、遺体の腐敗が急激に進んでいたそうです。遺体が並んだ道は「白骨街道」とも呼ばれ、今も現地の人々が遺族のために白骨や遺品を拾い、保管しているそうです。
この番組で何よりも衝撃的なのは、一番最後です。部隊の司令官に仕え、日々の死者の記録を取る業務に就きながら、自分の感じた矛盾と疑問を記し続けた当時23歳の若者がいました。彼の手記は番組のところどころでも紹介されており、仕えていた司令官が、計画に背く者へ怒号を浴びせ続けていたことや自分の意に沿わない部下の更迭を繰り返したこと、勝利のための祈祷を日課としていたこと、新聞記者の前では勝ち戦が続いているように話したこと、インパール作戦中止後は、自分や兵士たちを置き去りにして、戦地を後にしたことなどが、詳細に伝えられます。
その若者は今も生きていました。そして、カメラに向かって、声高にこう泣き叫びました。
「将校は皆生きて帰国しました。戦地における兵士なんて…そんなものなんですよ…!!」
私たちは、日本は、世界は、どうかもう二度と戦争という愚かな過ちは犯してはなりません。そう一人一人が思うこと、戦争に対する恐怖が平和を維持していることを、私たちは忘れてはなりません。平和な世界を、心から祈ります。
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