AI
私はある程度年はとってますが、コンピューター世代の走りです。
自分でもプログラムするし、ある程度の基本的な知識はもってます。
コンピューターの世界にはインターフェイスという言葉があります。
例えばテレビを見たいと思ったとします。
テレビの回路図を見てこれがこうなっているからこうなってテレビが映るんだ!!
ということを知っている人ってどれぐらいいるでしょうか?
少なくとも私は知りません。
そしてテレビを作るために必要だった様々な努力も知りません。
知らなくてもテレビの見方はわかります。
複雑なことはわからなくてもスイッチを押せばうつる。
この仕組みをインターフェイスという訳です。
AIができると仕事を奪われる。
という記事が沢山流れましたよね。
これって完全に誤報だと思ってます。
確かにテレビやラジオができたら飛脚はなくなりましたよね。
インターネットができて手紙も少なくなったでしょう。
でもそれに似たサービスというのは未だにありますよね。
飛脚でないと駄目なサービスです。
完全に職がなくなった訳じゃない。
むしろ多様化し職種が増えたと思うんです。
職種が増えれば自分にあった仕事選びができるかも・・・。
飛脚しかなかった時代の人達にそんな職業があることが想像できたでしょうか?
できなかったと思います。
AIが導入され今までの職を奪われる人はいるでしょう。
しかし、AIが導入されて職を得る人も多くなるのではないかと私は思っています。
変わることへの怖れ。
これを煽っているのがこの記事の必要性だったのではないかと思います。
つまり意図的だということでしょう。
AIはまだまだ発展途上の技術です。
マトリックスのように機械が人間を支配できるようになるまでには、まだまだ時間がかかります。
どこまで技術を使うのか?
それを選択するのはやはり人間です。
そんな簡単には機械に支配される世の中にはなりません。
というかそこまで技術はまだ進歩していません。
10年後はどうかわかりませんが、少なくとも今現在はそうではない。
核ミサイルを撃てば撃たれた方は大きな犠牲者がでます。
でも核ミサイルのボタンを押すかどうかは人間が決めています。
機械が決めている訳じゃない。
AIを作動させるのもさせないのも人間なんです。
猿が起動させる訳じゃありませんからね。
過剰に反応することはないですが、絶対に注意点はあります。
どこまでの進化を許容するのか?
それをよく考えることは大事だとは思います。
意図しない方向にいくかもわかりません。
今はその意図しない方向に進むかどうかの瀬戸際なのかもわかりません。
でも私達は好む好まないは別として、それを受け入れていく必要がある訳です。
そしてそれに適応していく必要がある訳です。
人間の探求心は止めることができない自然なものだからです。
人類はAIをどういう形で許容するようになるのか見てみたいですね。
絶対に科学技術は止まりませんからね。
それが人間の宿命です。
逃れようと思っても逃れられない。
それで幸せになるかどうかはわからない。
でも幸せというのは自分で決めることです。
人や機械に左右されるものではありません。
何を幸せと感じるかは自分次第ですからね。
どんな状況にあってどう感じて生きるかは、機械ではできないことです。