いつもいただいているもの
2017.08.17 09:54
こうして来たのは 私の力ではありません。
また帰るのも 私の思いのままに なるものではありません。
弘法大師空海
来ること我が力に非ず、帰らんこと我が志に非ず。
『遍照発揮性霊集』
お寺に来る、お寺から帰る。
それを自分だけの意思と力でしていると人は思っています。
自分が行きたい、来たいと思ったから来た。
自分の力で来た。
ただそれだけ。
本当にそうでしょうか。
何気ない事でも、
そこに法(仏)の意思が働いて
見守って下さって
力を貸して下さって
出来たことではないでしょうか。
何故行きたいと思ったのか、
そこにあるのは自分の意思だけではありません。
何故来れたのか、そこにも様々な見えない助けがあります。
それを当たり前と思うと、
自分の意のままにならない時に
「当たり前と思ってしていたことがこんなに大変なことだった」と知ることになります。
とは、先日聞いた法話。
大師の師、恵果阿闍梨との出会いの時の言葉です。
我を招くに鉤(こう を以てし、我を引くに策を以てす。
仏(自然)がかぎと縄でもって自分を手繰り寄せて下さった。
大師と比べることは畏れ多くても
私達も法(お陰)の力に守られています。
自然と有難いな、と思うのです。
今日も笑顔でぼちぼちと。