凸と凹「登録先の志」No.15:伊藤毅さん(一般社団法人全国重症児者デイサービス・ネットワーク 代表理事)
人生一度きりだからやりたいことをやろう
私と重症心身障がい児との出会いは、17年前に生まれた兄の長女でした。生まれてすぐ手術で、やっと面会ができたのは1歳の時。初めて会った時の何とも言えない笑顔と暖かなぬくもりに触れ、「障がいのある子どもたちの成長にかかわっていきたい。そんな役に立てる人になろう」と決意しました。
当時は人材派遣会社に勤めていましたが、10年前に一念発起し、キャリアを活かして障がいのある方の就労移行の事業所を立ち上げました。しかし事業に失敗して無一文に。家族を露頭に迷わせてしまい、一度は夢をあきらめ、サラリーマンに戻って死に物狂いで働きました。
2013年8月、会社で読んでいた新聞の記事「重症児デイサービスからはじめる地域生活」に感銘を受けてすぐさま電話した先が、その記事で紹介されていた重症心身障がい児向けのデイサービスを行う「ふれ愛名古屋」でした。電話の相手は記事に載っていた理事長の鈴木由夫さん。その週のうちに鈴木さんに会いに行き、「いつでもおいでよ」と声をかけてもらいましたが、サラリーマンになってすぐの時で、すぐに再び夢を追いかけられる状況ではありませんでした。
18年9月に進行性難病の母と認知症の父を引き取ったこともあり、「人生一度きりなんだからやりたいことをやろう!」と決意。妻と子どもたちに相談したところ、「パパ、好きなことやっちゃいなよ!」と快諾を得たので、その後も半年に一度はお会いしていた鈴木さんに連絡を取り、「行ってもいいですか?」と伝えました。新聞記事を読んで鈴木さんに会いに行ってから6年が経っていました。
19年4月に社会福祉法人ふれ愛名古屋に入社。当初の予定では「まずは現場支援」と聞いていましたが、入社5日後に仙台で鈴木さんが代表を務めるもう一つの法人「全国重症児者デイサービス・ネットワーク(以下、重デイネット)」の全国大会があり、鈴木さんに「来てほしい」と言われて参加しました。当時は重デイネットの会員が増え、事務局業務が拡大していた時期だったので、それからすぐに重デイネットの事務局にかかわるようになり、いつしかその業務が私のライフワークとなりました。
重デイネットの中で新規設立支援は鈴木さんの代名詞の活動でした。21年3月末に「今後は伊藤くんも担当してほしい」と言われた矢先、鈴木さんが体調を崩して急遽入院。入院中に緊急理事会がオンラインで開かれ、「重デイネットとは」というA4紙2枚にずらっと文字が書かれた文章を鈴木さんが読み上げました。それが鈴木さんの最期の仕事になりました。
鈴木さん亡き後、事務局だった私は鈴木さんの遺志を引き継ぎ、全国の事業所から選んでいただいて代表理事になりました。重責に潰されそうになることもありますが、「鈴木さんを引き継げるのは私しかいない」と今は思っています。
一番弱い人が切り捨てられる世界にしてはいけない
尊敬する愛知県医療療育総合センター中央病院副院長の三浦先生から以前、「重症心身障がい児者の生活を守るのは日本の歴史と伝統なんだ。ぼくたちもその歴史と伝統を守っていかないとね」とのお言葉をいただきました。さらに先生は「一番弱い人が切り捨てられる世界があると、次に弱い人が切り捨てられる。その次に弱い人が切り捨てられるという世界にしてはいけない」とも。これらの言葉は今、私が活動している根幹になっています。
2021年度は障害福祉サービス等の報酬改定がありました。そこには「入所から地域へ」というテーマがあります。昔から入所サービスはありましたが、これからは地域で専門性を持ったスペシャリストたちによるチームが、障がい児者を支える仕組みとして確立されていくことでしょう。私たちが支える重症心身障がい児者・医療的ケア児者とその家族が、全国どこでも住み慣れた地域で暮らしていけるような社会をめざしていきたいです。
全国1,700の市町村に広がる「みんなの重デイネット」に
私たちが取り組んでいる問題を、同じように見過ごせないと気づいてしまった人たちが各地にいて、重症心身障がい児を対象とするデイサービスをつくることができる時代になりました。先駆者である団体がいくつもあるので、全国で同じようなサービスができればと考えています。
そして、それらはマンパワーではなく、組織で取り組んでいく必要があると考えています。広めることで各地の人たちが活動しやすくなる文化をつくり、誰もが安心して暮らせる状況を最終的につくるために、「みんなの重デイネットにならなければいけない」という答えにたどり着きました。
現在は事業所数もまだまだ足りないと考えています。全国の市町村数は約1,700ですが、重症心身障がい児を対象とするデイサービスは現在830ほどで、全国的にまだ半分の状況です。もっと広めていかないといけないし、寄り添っていく必要もあるので、そこに重デイネットの役割があると感じています。厚生労働省の指針としても、施設が身近にあることの必要性は政策として言われていますが、まだまだ民間で何とかしていかないといけません。寄付を集めてやってみせることで、国に対しても働きかけていく必要があると考えています。
最重度の子どもたちが地域で生きていける状況をつくり、最終的には重デイネットの仕事をなくすことができたらと思っています。その状況を早く迎えるためにも、「広める活動(新規設立支援等)」と、「創っていく活動(制度を変えていくための調査や提言等)」の2つの活動の支援者を集め、実現していきたいです。
取材者の感想
事業に一度失敗して無一文になったところからの再スタート。そして中心的存在だった代表の突然の訃報。一つひとつの壁は決して低くなかったと思いますが、そういった困難を乗り越えてきた伊藤さんに、意志の強さを感じました。
重デイネットの理事会で新しい代表を選出する際、伊藤さんは理事ではなかったそうです。理事の互選で代表を選ぶ際、全国の事業所が伊藤さんを指名したというのは、鈴木代表の遺志を継げる存在として、伊藤さんが信頼を得ていたことの表れだと思います。
医療技術が発達する現代、重い障がいを持って生まれてくる子は今後も増えていくことが予想されます。最重度の子どもたちが地域で生きていける状況をつくることは、誰もが安心して子どもを産み、育てられる地域をつくることにつながると思うと、少し心があたたかくなりました。(長谷川)
伊藤毅さん:プロフィール
一般社団法人全国重症児者デイサービス・ネットワーク 代表理事
1995年東海大学文学部広報学科卒業。人材派遣会社へ長く勤務。3歳年上の兄の長女が重症児として誕生。幾度も手術を繰り返し、1歳の頃に初めて会った時のなんとも言えない暖かさとあふれ出る愛情にふれ、「障がいのある子どもたちの成長にかかわっていきたい。そんな役に立てる人になろう」と決意。2011年に障がい者就労移行施設を設立するも大失敗して無一文に。家族を路頭に迷わせる。その後7年間サラリーマンに戻り、家族のために死に物狂いで働く。
18年に進行性難病の母と介護疲れで認知症になった父を引き取った際、「人生は一度きりだ。好きなことをやろう!」と家族に相談。快諾を得たため、以前新聞記事に掲載された時から憧れていた鈴木由夫氏の門を叩く。
19年4月社会福祉法人ふれ愛名古屋入社、同年6月理事就任。同年4月一般社団法人全国重症児者デイサービス・ネットワーク事務局スタッフ就任、全国事業所や行政との窓口を担当。21年4月21日創業者鈴木由夫急逝により、思いを引き継ぎ同年5月3日同法人代表理事就任。
一般社団法人全国重症児者デイサービス・ネットワークは、凸と凹「マンスリーサポートプログラム」の登録先です。