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二つの特別日

2018.12.24 06:38

Facebook 人の心に灯をともす 投稿記事 【二つの特別日】

小林正観さんの心に響く言葉より…

人生の中で非常に意味のある日というのを特別日と言うのなら、「今日」は二つの特別日が重なっている日です。

一つは、今日を含めた過去で言うならば、「今日」の私は、人生の中で最長老であり、 最ベテランであり、最古参である、と言えます。

その日に下した判断というのはすべて、その最長老であり、最ベテランであり、最古参である「私」が為したもの、ということになります。

私という人生の中で、これ以上経験を積んだ人はいないのです。

今日がもっとも経験を積み重ねた日、もっとも知恵がたくさんある日です。

その人が下した判断なのですから、すべてがその日の時点では最高に正しいということが言えます。

つまり、今日下した判断はどんな判断もすべて100%正しい。

ただ、それにしては、半年前や1年前にした判断で、「あのとき、ああすればよかった、こうすればよかった」と思うことが少なくありません。

しかし、そう思えること自体が、自分が進歩・向上していることにほかならないのです。

「3ヵ月前の自分は未熟だった」「半年前の判断が未熟だった」「ああすればよかった、こうすればよかった」と思えるのは、その3ヵ月、半年の間に自分が以前よりもずっと大きな判断力を身につけたということになります。

あるいは、広い視野を持った、それだけ成長したということです。

過去の自分の判断が未熟であったと思えば思うほど、それは現在の自分が成長したということにほかなりません。

もう一度言いますが、その時点では、それが一番的確な判断だったのです。

それ以上の判断は余人をもっては替えられない。

すべての環境や条件や状況がわかっており、そして自分の人生の中の過去・現在をすべて知り抜いている「私」でなければ、その判断はできなかったのです。

ですから、その時点で下した判断はすべて正しかった、ということになります。

逆に、今日を含めた未来ということを考えてみたとき、「今日」の私は、もっとも未熟者であり、最若年者である、ということに気がつきます。

もっとも若く、もっとも未熟だ、ということです。それがわかったときには、さらにもっと勉強しよう、もっと向上しよう、 もっと魂を磨こうということになるのではないでしょうか

《“上昇志向”でもなく、誰かと 比べるということでもありません。自分の未知領域(85%)のところに入ってみよう、ということです》。

今日を未来の一部と考えたときには、今日はもっとも自分が未熟な日です。

そういう意味で、人生の中の特別日ということになります。

二度と来ない、人生の中でもっとも若くて未熟な日です。

つまり、今日という日は、過去の人生の中ではもっとも優れた最高位にある自分であると同時に、未来に向けては、もっとも未熟な最年少の私である、というその二つの特別日が重なった、非常に特異な特別日なのです。

面白いことに、過去の人生についてくよくよ考えたり後悔したりする人というのは、そのことにエネルギーをとられてしまうがゆえに(そのためでしょうか)、未来のことをあまり考えていないような気がします。

つまり、自分を磨いたり向上させるということには神経やエネルギーがどうもいかないようで、過去を後悔する、ということばかりにとらわれているように思われます。

過去に下した判断はすべて正しかった。

その時点では最高の自分だったのですから、すべて正しかったのです。

「もしかしたら間違っていたのでは」とか「もしかしたら正しかったのでは」というレベルではなく、完全に100%、その時点では正しかった、ということを確信してください。

過去を悔やむことにエネルギーを使うのはもうやめて、未来に向けていかに自分を磨くか、向上させるか、成長させるか、ということを考えてみてはいかがでしょうか。

ちなみに、神社には必ず石段があります。石段の間には踊り場がつくられています。何のために石段があるのか、そして何のために踊り場があるのか。

それは、上がってきた人生の道を上から見下ろすためです。

自分が歩いてきた苦労の道を振り返るために存在するのです。

後悔するためではなく、「こんなに長い石段をよく上ってきたなあ」と、自分で自分をほめてあげるために存在するのです。

同時に、上の石段を見たときに、それは自分の戒めにもなっています。

まだこれからもずっと長い間上り続けなければならない、ということです。

上り続けた結果として、その行き着く果てに「神」が存在します。

そのために、神社には必ず石段がつくられているのです。

「人生の中で最高峰にいる私」と「人生の中でもっとも未熟で生まれたての私」、それが今日ここに存在しています。

その、人生の中に二度とない特別日が二つ重なっている日が 「今日」です。

それが今日も明日も、あさっても、ずっと延々と続いていくのですから、 こんなに楽しい人生が、ほかにあるでしょうか。

『この世の悩みがゼロになる』大和書房

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「過去に下した判断はすべて100%正しかった」と小林正観さんはいう。

それを、舩井幸雄氏は「世の中で起きることは、すべてが必然、必要、ベストだ」といった。

すべてのことはベストのタイミングで起こる。

だから「過去オール善」だ。

また同時に、今日という日は、「未来に向けては、もっとも未熟な最年少の私」という。

それを、田中真澄氏は「人生は今日が始まり、昨日まではリハーサル、今日から本番」と。

未来に向けての今日という第一日目は、若者にとっても、年配者にとっても同じ最初の一日。

だからこそ、若者も年配者も謙虚になる必要がある。

中村天風師は「さしあたる事柄のみをただ思え、過去は及ばず、未来は知られず」と言った。

今日という日は、二度と来ない。

それは、この瞬間、今しかないということ。

「即今(そっこん)」だ。

この二度と来ない特別な日…今日という日を大事に生きてゆきたい。