カール大帝の夢5-「ローランの歌」の敗北
2017.08.18 15:07
ザクセンの勝利の美酒に酔うカールに777年、イスラムの太守から援軍の要請があった。756年にコルドバにできた後ウマイヤ朝のアブドール・ラフマーンが勢力を拡張し、これまでのイスラム勢力が助けを求めてきたのだ。カールはこれをイベリア半島介入のチャンスと見る。
カールは778年初夏にピレネーを越え、サラゴサ攻略に成功する。目的を達したカールは一旦撤退するためピレネーを戻るが、ここで後衛を攻撃されて大敗を喫した。この敗北をテーマに創られたのが中世叙事詩「ローランの歌」である。この戦いでカールは、多数の忠臣を失うこととなった。
攻撃を行ったのはイスラムに組みしたバスク人である。バスク人は、イベリア半島に住みついた古い民族で、現在でもスペインから独立のためにテロをする者もいる。地の利を得た山岳ゲリラで、軽装に加え、ナイフや弓矢、短槍で戦った。「ローランの歌」では味方の不和があり、裏切りが出たことになっている。
森の中の夜間、重い輜重隊が、先頭と離れた隙を襲った。本隊は襲われたのに気付き、救援に向かったときには全滅していた。カールは嘆き悲しんだと歌われている。そしてカールの居ない間にザクセンで反乱がおきた。重い足取りで、カールは戦闘に赴く。
下は北スペインのローラン像