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#聖書 #雅歌 x #akb48 #根も葉もrumor

2021.12.24 09:26

「日常一般」様より

シェア、掲載。


ありがとうございます。

感謝です。


「雅歌」 愛の詩集


 雅 歌 (愛の歌) 


  はじめに


 「雅歌」は、旧約聖書の中に収められている愛の詩集です。律法など何ものにも捉われることのない、解き放たれたおおらかな、男女の愛が歌われています。男と女は結婚を境目にして、その前後の恋人時代と夫婦時代を共に生き、互いに、精神的に、肉体的に激しく愛し合います。


しかし、同時に愛のもろさ、不確実性も語られています。この書における愛は男も女も平等です。家父長制の中、男尊女卑の当時の社会においては異例の書です。


 「雅歌」は、その極めて官能的な内容のために、その扱いをめぐって、キリスト者の間で長年にわたって正典に含めるか否か、議論の対象でしたが、様々な経緯を経て正典に収められたのです。


ソロモンの偉名(この書の作者)が影響していたのかもしれません。


  「雅歌」という名の由来 


 「雅歌」とは漢訳聖書から来た題名ですが、英訳では「Song of Song」「Song of Solomon」となります。「歌の中の歌・最高の歌」「ソロモンの歌」と云う意味です。


何故そう呼ばれるのかと云えば、創造神によって造られた男女の愛の豊かさと、素晴らしさが、何の恥じらいも無く、声高らかに歌われているからです。


若い男と女、花婿と花嫁、夫と妻が愛によって心と体が一つに結ばれる喜びを語ります。その愛の表現は、直接的な言葉と共に、間接的な隠喩や、自然界の美しいものに譬えて表現されます。それ故に「雅歌」は詩情に溢れているのです。それにも拘らず、官能的です。


ここには当然の事ですが、不倫、同性愛、近親相姦、売春(神殿における売春は、聖なるものと見做された)等の異常性愛については言及していません。 


「雅歌」の神は、契約の神(イスラエルの神)ではありません。創造神です


  (梗 概) 


 「雅歌」は筋書きのない詩文ではありません。それぞれの章は繋がりを持って次の章へと続いていきます。その構成を見ると、最初に若い男と女の奔放な愛が描かれます(雅,1:1~3:5)。


二人は結婚します(雅,3:6~11)。次に新婚の花婿、花嫁の愛の生活が始まります(雅4:1~5:1)。そして、年を経て夫と妻との愛の生活描かれます(雅5:2~8:14)。


しかし、その脆さ、不確実さ、不安定さも同時に描かれています。これはソロモン王とその妻の愛の物語です。しかし、普通の男女の愛の物語とも取れます。


  青春時代: 


 第1章と2章では、ソロモン王とその愛する女の愛の物語が対話形式で展開します。女は愛の悦楽を喜び、また、苦しみ、悩みます。ソロモンは女に云います「ああ、わが愛する者、あなたはなんと美しいことよ、なんと美しいことよ、あなたの目は鳩のようだ」そして女を誘います。


「わが愛する者、美しい人よ、さあ、立って出ておいで」と女は応えます「私の愛する方は私のもの、私はあなたのもの」そしてエルサレムの娘に云います。「この愛の生活を邪魔するな」と。その愛には問題が無いかのようです。


 しかし、女は夢を見ます。その中で女は真実の愛を求めています。求め求めて街の中を彷徨します。しかし、見つかりません。夜回りに尋ねます。「私の愛する人を見かけましたか」と。


そして、その直後に、ついに探し当てるのです。女は目覚めます。女の傍らには今まで自分が愛していた男がいました。見失った愛を再発見したのです。真実の愛は、彼女と共にあったのです。


それを女は悟ったのです(雅3:1~5)。「私の魂の愛する人を見つけた。彼を捕まえた、もう彼を放さない(雅3:4後半)」と女は言います。



 ここには愛の持つ脆さが、不確実性と不安定性が語られています。お互いに信じ合い、愛し合い、その悦楽に酔っていながらも、その愛を見失う時があるのです。疑うことがあるのです。女はその見失った愛を探し求めるのです。


女には、どこかに覚めた感覚があります。「他に良い人がいるのではないか」と。聖書は恋の悦楽だけを語りません。「愛」とは何かを語ります。夜回りは、もしかしたらイエス・キリストかもしれません。神の言葉は時に適って美しいのです。そこには、正しい導きがあります。


 結婚生活(1) 


 2人は恋人生活から進んで結婚生活に入ります。2人が婚約をしていたかどうかは分かりません。聖書にはそれについては何も書いていません。単なる恋人だったかもしれません。この時代の性風俗については、研究してみる必要があります。律法厳しき時代、自由な性愛が許されたのでしょうか。新約聖書は結婚前の性愛を禁じています。


それはともかくとして2人は結婚します。ソロモンの婚礼の状況が語られています(雅3:6~9)。しかし相手の女性の名前は出てきません。いずれにしても、新婚生活が始まります。


ソロモンの呼びかけも「愛する人」から「花嫁」に変わります。ソロモンは相手に対し「わが妹よ、花嫁よ、私の園」と呼びかけます。恋は相手の身も心も所有し、所有されることを熱望します。


「私は、私の愛する方のもの、私の愛する方は私のもの(雅6:3)」と。花婿の花嫁に対する最大限の愛の言葉が投げかけられます(雅4:1~6)。


時がたち、花婿と花嫁は、その名も夫と妻に変わります。その愛情生活は、恋人時代に変わること無く喜びに満ちていました。


 結婚生活(2)夫婦の危機


 しかし、異変が起こります。順風満帆であった愛の生活にすれ違いが起こったのです。妻は止む得ない事情により、訪ねて来た夫の受け入れを一瞬ですが躊躇します。そして、扉を開けた時には、夫は去った後だったのです。妻は夫の後を追います。夜の町を彷徨し、歩きます。


しかし見つかりません。今度も夜回りに訊ねます。しかし「夜回りは、私を打ち、傷つけました。城壁を守る者たちも、私のかぶりものをはぎ取りました(雅5:7)」


ここから妻の苦しみが始まります。妻は自分がどんなに夫を愛していたかを知ります。失って初めて知る夫への愛でした。夫の素晴らしさを、彼に対する愛を、エルサレムの娘に語ります。


一方、夫の方も妻のもとを去ったとはいえ、愛が消えたわけではありません。「王妃は60人、側室は80人、若い女は数え切れない。僕の鳩、僕の理想はただ一人」と妻への純愛を語ります。


わたしが本当に愛したのはお前だけだよ、と云ったのです。(伝説によれば、ソロモンは3000人の妻妾を抱えていたと云われています。その彼にこの純愛?)。この物語は、妻の白昼夢だったのです。


ここには愛とは何かが問はれています。夫婦の愛は決して、順調にいくとは限らないのです。危機があります。失って知る愛の強さなのです。


夜回りの彼女に対する行為は彼女の良心が苛まれていることを現します。聖書は無条件に愛の素晴らしさを描いてはいません。山あり谷ありです。


夫婦の仲は、決して順風満帆に行くものではないことを示しています。危機に遭遇します。


この危機を乗り越えた時、始めて愛の素晴らしさを知るのです。結婚生活には相手に対する思いやりと、責任を伴うのです。それを忘れた時、危機が訪れます。最終的には夫婦の仲は回復します。


  「雅歌」は聖なる書  


 「雅歌」には、神、罪、救い、信仰、と云った宗教用語は一切出てきません。心と体が愛において一つに結ばれる、喜びと、豊かさと、素晴らしさが表現されています。このように、「雅歌」は徹底的に世俗的な恋愛歌集なのです。しかし、まさにこのことによって逆説的に、神と人との愛の関係を見ることが出来るのです。


なぜならば、「雅歌」の世界は、人に愛することを教えた神によって、祝福された世界だからです。このような意味において「雅歌」は、単なる恋歌では無く、聖なる書と云えるのです。


  「雅歌」の作者は誰 


 次に、この書の作者は誰でしょうか。この書の冒頭に「ソロモンの雅歌(雅1:1)」とあります。ソロモン自身であることを暗示しています。


しかし、「ソロモンの為に」、「ソロモンを記念して」と解釈することも可能です。ソロモンを含めて、ソロモンを敬愛する人々によって書かれたものとも云えます。


 ソロモン王の王妃って、どんな人


「雅歌」は、「ソロモンの雅歌(雅1:1)」と表題にあるように、一人の女のソロモン王に対する賛歌から始まります。女とソロモンは恋人同士です。


「王は私を奥の間に連れていかれました(雅1:4)」「王が宴の座についておられる間、私はナルドの香りを放ちました(雅1:12)」「ああ、わが愛する者、あなたはなんと美しいことよ。なんと美しいことよ、あなたの目は鳩のようだ(雅1:15)」、「あの方は私を酒宴の席に伴われました。わたしの上に翻るあの方の旗じるしは愛でした(雅2:4)」。


お互いに愛し愛されている様子が「雅歌」の第1章から2章にかけて鮮やかに描かれています。王(あの方)とは勿論ソロモン王です。ソロモンと女は結婚します(雅3:6~11)。愛は何時か家になり、家は何時か、長く、素敵な人生になる。


さて、男の名は「ソロモン王」であることがわかりました。王に愛され結婚までした女については何も分かりません。名前は最後まで出てきません。しかし、王は女を「美しい女よ」と何度も呼びかけます。


「シュラムの人よ」とも呼びかけます(雅6:13)。「高貴の人の娘よ(雅7:1)」とも呼びかけます。


彼女はソロモンの数ある妻妾の中でも「汚れの無いもの、わたしの鳩はただ一人(雅6:8)」なのです。そして「王妃たち、そばめ達も彼女をほめたたえる(雅6:9)」程の自他ともに認める程の色は黒いが(雅1:5)魅力に満ちた美しい女なのです。


この事から王に愛され結婚までした女はシュラム人であって高貴な人の娘で、美しく魅力に富んだ女であることがわかります。ソロモン王と付き合いが出来、結婚まで出来る女性は、それなりの身分と地位のある上流階級の人であることが分かります。


虐げられ「灰かぶり」と呼ばれていた、シンデレラも貴族の娘です。一般の民衆は宮殿にすら近づけません。


まとめ


 「雅歌」は、神(創造神)によって造られた男と女の愛の素晴らしさと、豊かさを詠いあげた、愛の詩集です。男と女の絆の強さが「雅歌」の中で鮮やかに繰り広げられています。次の言葉を引用して「雅歌」を終わりにします。


 「私を封印のように、あなたの心臓の上に、封印のようにあなたの腕につけて下さい。愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。大水もその愛を消すことが出来ません。洪水も押し流すことが出来ません。もし、人が愛を得ようとして、自分の財産をことごとく与えても、だだ、蔑みしか得られません(雅8:6~7)」。


 愛の素晴らしさは金で買うことの出来ない程、素晴らしいものなのです。



 平成28年7月12日(水)

報告者 守武 戢 楽庵会



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