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メリークリスマス

2018.12.24 14:07

Facebook清水 友邦さん投稿記事  「魔女」

魔女という言葉には様々なイメージがつきまとってます。

フランス人にとって「あなたは妖精のようだ」と呼ばれることはポジティブに受け止められますが「魔女のようだ」は嫌われると聞いた事があります。

魔女は悪天候を起こし、家畜を病気にする、悪い女の恐ろしいイメージがつきまとっているからです。

魔女狩りと気象の関係について次のような報告があります。

冷夏が続きワインの原料となるぶどうの不作が10年続いた1630年ドイツ南西部の町トリアでマリーという名の一人の女性が処刑されました。

あるときマリーと隣の人が口論した後に数頭の牛が死んでしまいました。

マリーという女性が原因と思われてしまいました。

ブドウの収穫量が激減した原因を貧しい農家の娘にしたのです。

そのためにこの町だけで1000人以上が処刑されました。

17世紀の小氷河期に魔女裁判が爆発的に増えていて何回かの異常気象のピークと魔女裁判のピークは一致していました。

作物の不作が生活の困窮をもたらし、その不満と危機感、不安が弱い者をいじめる魔女裁判につながったのではないかと言われています。( 魔女狩りと気象の関係)安田喜憲

悪魔と乱交し人々に災いをもたらす恐ろしい魔女のイメージは拷問と自白により異端審問が作り上げたデッチ上げでした。

魔女と呼ばずともなにか悪い事が起きた時に誰か弱い者をスケープゴートにすることは現代でもあります。

心理学では投影または転移といいます。

自我は社会に適応するために良い人間の仮面を被ります。

そして、自己イメージに合わない衝動は抑圧されてシャドー(影)になります。

抑圧された影はやがて表面化してきます。

不安と恐れを境界線の外側に投影して敵を作ります。

中世の魔女狩りを始めたキリスト教の聖職者達は自分に邪悪な面はないと強く信じていた為にペルソナ(仮面)とシャドー(影)の分離が深かったのです。

聖職者達のシャドー(影)の投影先が邪悪な魔女でした。

女性を否定するマインドの罠に嵌った聖職者達にとって邪悪な魔女は滅ぼさなければなりませんでした。

抑圧された内面の衝動を解消しようと外側に向かって行動表現(アクティング・アウト)しますが、内面の衝動を外に向って正義の戦いを始めても内側の衝動はなくなりません。

かくして自我の葛藤は解消されず魔女の火あぶりが何百年も続き数百万人もの人々が犠牲になってしまったのです。

シャドー(影)の投影の犠牲者は貧しい女性が多かったということです。

現代社会のメディアが正義をかざして糾弾する姿や、SNSの炎上やいじめの横行を見ると中世の魔女狩りの頃と同じ意識のメカニズムが今も働いているのです。

Witchの訳語は普通魔女と訳されますが男性も含まれます。

魔女の語源の古語ウィッカ(Wicca)は叡智の探求者のことを指します。

魔女の起源は石器時代の狩猟祭儀と地母神信仰までさかのぼるといわれています。

その魔女のイメージの深層にはキリスト教以前の古代ヨーロッパの大地母神信仰があったのです。

ギリシャ以前の地母神はシュメールのイナンナ、バビロニアのイシュタル、フェニキアのイシュタルテ、エジプトのイシスがあげられます。

豊穣の大地と子供を産み育てる女性は同一視され女神の力はもっとも偉大な力でした。

しかしギリシャ時代になると男性神の下の十二神に女神は格下げされてしまいました。

デメテル(ケレス)、アフロディーテ(ビーナス)、アルテミス(ディアナ、ダイアナ)、ヘラ(ジュノー)、アテナ(ミネルバ)などがそうです。

第二次世界大戦中に破壊された教会の祭壇から男根の石像が発見されたことがあります。

14世紀以前に建てられていた教会の九割の祭壇に男根像が見いだされる可能性があったといわれています。

古い教会の入り口には股を開いて陰部をあらわにした女性像が当たり前のように彫り込まれていたともいわれています。

性器のシンボルは古代宗教に共通する豊穣と多産のシンボルでした。

教皇グレゴリウス一世はキリスト教の儀式を出来るだけ異教の儀式に合せるように忠告しました。

ケルトの人々がキリスト教に短期間で改宗した訳はアイルランドで早くからケルトの神々と儀式がそっくりキリスト教に移植されたからだといわれています。

つまり名前は変えられましたが古代の祭儀の日付はそのままだったので庶民の生活習慣の中で古代の信仰が維持されたのです。

ケルトやゲルマンの自然崇拝の対象だった妖精や精霊は名前や語感が似ているキリスト教の聖人に移し替えられました。

ゲルマンの雷の神はトールで嵐がドナーですがヴァンダル人(ドイツ・ポーランドの国境地帯、オーデル川流域に居住していた)に殺された修道士「聖ドナ」は嵐や雷の守護者になっています。

聖ニコラスはサンタクロースのもとになった人物といわれていますが彼も泉や川の守護聖人とされています。

泉の精霊はニック、ニクルと呼ばれていました。ところがゲルマンの沼や河の悪魔の名前もニック、ニクル、ニクスと呼ばれています。

悪魔とはキリスト教以前の古代の神々がキリスト教に破れ溺死や河の氾濫などのネガティブなイメージをはられて落とされてしまった姿だということがわかります。

こうして古代の精霊は姿を消し代わりに名前がすげ替わったキリスト教の聖人たちがその役割を担ったのです。

キリスト教がヨーロッパに広まる過程で王侯貴族が最初にキリスト教に改宗しましたが庶民は両方の宗教を信仰していました。

その改宗の様子はヨーロッパ地域によって異なり農村の住民は古来の習慣をなかなか止めようとしなかったようです。

ルーマニアは組織的な魔女迫害をまぬがれた数少ない地域です。

ディオニソスはルーマニアが故郷と伝えられています。

欧州各地に古代宗教の民族文化が残されていました。

北イタリアのフリウーリ地方には寝ている間に自身の体から抜け出し、次の季節によい作物が実るのを保証するために邪悪な魔女と戦おうとするベナンダンティと呼ばれる古代シャーマニズム信仰が17世紀まで残っていました。

フリウーリ地方の女性たちは四季の変わり目の夜、ディアーナに従いトランス状態になる豊穣の祭儀を行っていました。豊穣の儀礼は異端審問官に見つかり悪魔崇拝と決めつけられてしまいました。

魔女裁判の記録で魔女の軟膏の話が出てきます。

魔女達が扱っていた秘薬ベラドンナ、チョウセンアサガオ、トリカブトなどのアルカロイド系の薬用植物は中枢神経に働きかけることが知られています。

幻覚をもたらすナス科の植物の抽出液は皮膚から吸収され体内で直ちに活性化されるという事なので、「空を飛ぶ。死者の国へ旅立つ。動物に変身する」の正体は薬用植物の幻覚作用だったかもしれません。

悪魔集会がよく行われる日というのは地母神信仰の祭日と重なります。四季の変わり目の夜、フリウーリ地方の女性たちはトランス状態になって月の女神ディアーナに従い豊穣を願って魂の旅に出たのでしょう。

魔女にされた人の中にはヒステリーのような精神を病んだ病人もいたと言われています。

現代の心理学の精神病は創造性のような内的エネルギーを抑圧する事によって起こるといわれています。

すぐれた天分と能力と意志をもった女性が無理矢理家庭に閉じ込められた場合に精神を病んだ可能性があります。

中世は女性を支配下に置いた父権社会でしたから幼児期に虐待を受けていた人々は多かったと思います。

魔女としてよくあげられるのが薬草を煎じるギリシャ神話のキルケですが元々は女神でした。

キルケの語源は鷹を意味するので鳥の形をした女神だったようです。

アルテミス神殿からは鷹のくちばしを持った神像が多数出土しています。

また最古の叙事詩オデュセイア(BC8世紀)でのキルケは薬物に精通した女神と呼ばれていました。

オデッセウスとキルケは敵対していましたキルケがオデッセウスと性的に結ばれたあとは援助者に変わりました。

女神は生と死の両面性をもっていたことが解ります。

その後年代が下るにして(BC5世紀)キルケの二面性は消えキルケの性的な面が強調され始め、ローマ時代には毒薬をあつかって豚に変身させる邪悪な魔女とされてしまったのです。

魔女とは薬用植物を扱う女性シャーマンでした。

「妖術を行なう女は死なねばならない。」と聖書にあるように「妖術を行なう女」の語源はギリシャ語の薬を扱うことにあります。

太古の昔からケルトやゲルマンの女性は人々を癒す薬草と魔術の伝統を受け継いでいました。

薬用植物を扱い病人を癒す女性は魔女にされました。

宗教学者のエリアーデは古代宗教の豊穣密儀の残存が魔女術ではないかといっています。

森の狼やフクロウは悪魔の手先にされ、

豊穣の女神、森の精霊、エルフ、異教の神々は全て悪魔、魔女にされました。

古代ヨーロッパは鬱蒼と巨木が生い茂っていました。

魔女狩りとともに鬱蒼とした森も悪魔のすみかとして伐採されていったのです。

魔女狩りが終焉を迎えた18世紀後半から産業革命が始まりました。

科学的合理主義の工業化社会が始まったのです。

ですが今度は人間を機械のようなものだと考えてしまいました。

機械的世界観は物質的豊かさをもたらしましたがそれだけでは人間を幸せにしませんでした。

すべての存在は生態系の中で相互に関係しあう命のネットワークの結び目のひとつなのです。

人類の意識は自分の属する集団だけの繁栄を望む自己中心的段階から地球全体の調和をめざす統合的な段階に来ています。

メリークリスマス。


12月22日は「冬至」で私とカミさんの結婚記念日です。

中世ヨーロッパの時代のことです。

人里離れた鬱蒼とした森の奥に藁葺きの屋根に壁が石造りの小屋がたっていました。

赤々と燃える暖炉のそばでは美しく聡明な女性が薬草を調合していました。

なぜ彼女は人里離れた森にすんでいたのでしょうか? 

彼女は以前、人里に住んでいました。

彼女は様々な事を見通すことが出来て、人を癒す能力を持っていました。

そのため彼女をしたって人々が集まるようになっていました。

しかし、そのころのヨーロッパでは異端審問官が魔女狩りをはじめるようになっていました。

彼女は身の危険を感じて森の中に隠れました。

あるとき、ドアをノックする音が聞こえました。

危険を感じながらもこっそりと村人が彼女に会いに来たのです。

そうして彼女はたった一人で人里離れた森で一生を終えました。

次の生で彼女は教養もなく特別な能力を持つ事もない全く普通の女性としての生をえらびました。

一人でいる事より人々の中で暮らす人生を選んだのです。

ある日、その生で一人の修道士に出会いアッシジの聖フランチェスコの話を聞きました。

兄弟である太陽  姉妹である月と星  兄弟である風  姉妹である水

兄弟である火  姉妹である大地   姉妹である死  慰められるよりは慰めること

理解されるよりは理解すること  愛されるよりは愛すること  与えることによって受け取り  ゆるすことによってゆるされ  自分が死ぬことで永遠の命を得るのです。

聖フランチェスコの教えは彼女に大きな影響を与えました。

その修道士はアッシジに戻らなくてはいけませんでした。

彼女はその修道士と共に行きたかったのですが当時の彼女の状況はそれが到底許される事ではなかったのです。

彼女の胸は張り裂けそうになりました。

彼女はその後、日本に生まれて私のカミさんになりました。

(夢物語として読んでくださいね。)

私が37でカミさんが28の時に出会いました。

はじめて出会って別れた日の夜、不思議なことに二人とも全く同じ夢を見たのでした。

それ以来、昼も夜も365日いつも一緒に暮らしてます。


Facebook清水 友邦さん投稿記事 メリークリスマス

フランスではクリスマスにビュッシュ・ド・ノエル(丸太のケーキ)を食べる習慣があります。(ビュッシュは丸太でノエルはクリスマスの意味)

昔は丸太を運んで来て燃やす習俗がヨーロッパ各地でおこなわれていました。

人々はまるで人間のように丸太にうやうやしく挨拶をして、食べ物を供え、飲み物を供え、礼をつくしました。

北欧やイングランドでは冬至の丸太とよばれ、森へ行き、木の根もとに小麦をふりかけ、ひざまずいて祈りました。

人々は唄を歌いながら神聖な丸太を運び一晩中燃やしました。

その灰は薬として飲んだり、家畜の餌に混ぜたり、豊作を祈願して畑に撒いたりしました。また災害から身を守り護符としての役割も果たしました。

教会は異教徒の習慣だから止めさせようとしましたが、なかな止められませんでした。

当時の人々は春になると芽を吹く植物の持つ不思議な生命力を畏怖して、大切な年の変わり目に冬至の丸太の儀礼をしないと不幸がおとずれると思っていたのでした。

ドイツでは丸太にキリストの名前をつけて、キリスト教を装ったので結局ヨーロッパでこの儀礼は19世紀まで存続しました。

宣教師達は異教徒を改宗させようと聖なる森をサタンの巣窟として伐採を続けました。

開墾がすすみ、痩せてしまった土地に育ちやすい針葉樹を植林していきました。

その結果、19世紀後半に残っている森の8割以上は針葉樹と変わってしまいました。

暖炉からストーブの普及にともない丸太を燃やす習慣は消えて行ったのです。

その頃からパリの菓子職人が考案したビュッシュ・ド・ノエルが現れ始めたのです。

なぜクリスマスに丸太のケーキを食べるのか、現代人はその理由をとっくに忘れてしまっています。

それは遥か太古の昔から続く冬至祭の樹木信仰のなごりでした。

カミさん手作りのビュッシュ・ド・ノエル

レシピは

https://cookpad.com/search/ブッシュドノエル%20米粉