2022.2/11.Fri
第18回 尾道市立大学 美術学科卒業制作展 が2022.2/4〜2/13まで開催されます。
今回は 昨年の10月から12月まで制作した 卒業制作作品についてのお話です。
3ヶ月の制作。長いようであっという間でした。150号は初めて対峙するサイズでなかなかの威圧感がありましたが、大きいからこそ勉強になったことも多かったです。やはり大きい画面は作り方が難しいです…。
今作《真昼の無名》では、「『存在していること』をどう受け入れるか」 がテーマとなっています。
人は様々なことに「意味」や「意義」を求める生き物です。
確かに 生きている事に意味を見出したり、目標を作ったりすることは大事ですし、小さい頃からそう習います。目標意識は人を強くします。それを否定はしません。
けれど だからこそ、そうして作られた「一般的な意識」や「型」によって 息苦しくなる人もいると思います。
本当は「そこにいるだけ」でもいいし、「そこにいない」ことを選んでもいい。何者になってもならなくてもいい。必要とされてもされなくてもいい。「無名」でもいい。
そう思っています。
そこにある自由も浮遊感も淋しさも無力感も そっと受け入れて ただ息をしてみる。すると少しだけ 楽になれるかもしれないと思います。
そう簡単なことではないかもしれません。
解決策ではないかもしれません。
きれいごとかもしれません。
でも それもひとつだと思っています。
↑ 小下図。上はアクリル 水彩で描いたもので、下はデジタルで色をつけたものです。
今作に至るまで、自分の制作の中で大切にしてきたものが二つあります。ので、それについてお話します。
一つは 「黒色」です。
「黒色」は可視光を吸収する関係で、その内側に他のあらゆる色を押し留めています。私は その現象にひとつの「やさしさ」を見出しました。ここで言う「やさしさ」は、思いやりや思慮深さ以上に、より「耐性」のある 包括的な感覚、概念のことを指しています。あらゆる現象を受け入れ、自らの内に抱え込んでしまう強さとその惨さを併せ持つ存在です。
ここから私は「黒色」を、「やさしさ」を象徴する色として使用しています。
もう一つは 「昼の月」です。
私は制作下で 幽かさや脆弱性をもつ存在のメタファーとして「昼の月」を描き入れています。
その源流は、山村暮鳥の詩「風景 純銀もざいく」の一節「やめるはひるのつき」にあります。「いちめんのなのはな」が広がるその上に、ひっそりと、病的な、脆弱な、幽かに白んだ月が浮かんでいる情景を想像した時、いたく感動したことを覚えています。
誰にも意識されない、幽かな存在はきっとすぐ隣にいるのだと思います。そういったものに 少しでも目を向けられれば… と思っています。
以上の二つが私の制作下における 大切にしたい存在、概念です。
はい。以上で自分語り終了。
長々と失礼しました。
お疲れ様です。
あ、それともう一点。 個人的な話ですが 今作、尾大卒展の日本画部門で買い上げ作品に選ばれました。
これまで多くの方にお世話になり、支えられてきました。それが今回こういった形になったことを 大変嬉しく ありがたく思います。
改めて、お世話になった多くの方へ
ありがとうございました。
「卒制!」と言っても まだまだ通過点というかスタート地点なので。「記念制作!」にはならないように ということで。
今後の制作も軸をしっかり持って進めていきたい思います。
周りの作品が良すぎて…! というか、やっぱり皆の作品が好きすぎる!! 4年間 皆の制作現場が見れて本当によかった…! 勉強になりました。ありがとうございました。