インスタ映え、に思う。
インスタ映えとか、いいねへの渇望とか。
自分の写真撮ったり活動をお知らせしたりする行動はどうなのか少し自らに問うてみる。
いいねって言われたらうれしいか?→ まぁうれしいわな。
いいねって言われたいからやってるのか → なんかそこは違う気がするな。
もともと子供のときから釣りをしていた。
釣りは魚を釣るのが目的。
その川や池の釣り場に何回通うか、そこで何回竿を降るかだけが大事になってくる。
その様子を見て「田原さんいいね」とか言われたら、どう思うか。
まぁ、ありがとさん、とは思うね。でも頭の中はきっと釣りのことしか考えてなくて
今日はどうしてやろうか?どうしたらあいつ(魚ね)を釣ることができるか?しか僕のには
ないのだと思う。
なので。こう言ってしまうと身もフタもないのだけれど、僕が写真撮ったり作ったり文章
書いたりしてるのは、ただ、それがやりたいからやってるだけ。記念、ではなくて記録。
そして留まる事なく様々なものを打ち続けるのはやはり釣り。
そうだ、僕が思うおもしろい人を僕はいつも捕獲したがってるんだ。
いいねを越えたその先に潜む大物を釣り上げるためには何度も何度も竿を振るのが肝要。
やめない。あきらめない。今はダメかもしれないけど、あと10回振ったら釣れるかもしれない。
しつこく、ただやりたいから続けてるわけだ。
そして。獲物を釣るには極上の餌も必要だ。
その餌にするためには自分の気持ちを巧拙関係なくそのまま打ち出す文章力の訓練とイメージを
伝える写真の鍛錬と、それよりもなによりも独自なイキイキとした自分の姿が必要だ。
そこに上手さとか見かけの美しさとかはあまり重要でなく、野生動物の行動のままな感じで生きて
行きながらなんだこいつ?と興味を持ってもらえるような自分で居続けることが大事なのかもしれ
ない。
写真。インスタ、映えなくてもいい。
文章。いいね、とかない方が実は未踏地にいる気がして燃えてきたりもするしな。
僕はこのまま往く。
ただわがままにいいと思うものだけを狩りながら僕は日々を過ごすことにする。
まとまんないけど、それが今の自分に問うた正直なところですかな。
そんな感じですかな。