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まだ語られていない物語は何ですか

「アート」ってなに (「これからは、ストーリーでリーダーシップを発揮する」ふりかえり③)

2017.08.27 20:57

この記事は前回からの失敗談の続きです

私は過去に「コレクティブストーリーハーベスティング」という手法を使うことに一度チャレンジした結果、スベり倒しました。その原因のひとつは、「私ひとりのアートで、場をつくり、支えようとしていた」からだと考えました。


そうすると、その「アート」とは何か、そして「場をつくり、支える」とは何かを考えないといけません。


■「アート」とは何か

この取組のための理論と実践は、北欧発の参加型リーダーシップトレーニングである「アート・オブ・ホスティング」と呼ばれるもの(ほんとはもっと長い名称です)と関わりがあります。


その文脈で使われる「アート」という言葉が指しているものはなんなのでしょうか?


それが、私が求めているものの核心に迫るものであり、また、描こうとしている世界観に必要なものだと思っているのですが、これが言葉にするのが、なんとも難しいのです。


その「アート」とは、こんな風に言われることがあります。



私は、これをはじめて聞いた時、なんとなく腑に落ちたのですが、落ちきりませんでした。

また、「アート」だけれど芸術ではない、という説明をどこかで聞いたことがあって、それには違和感を感じていました。

(ただ、説明上、そういう言葉遣いをする意図はわかります。シーダーシップのために一緒に芸術を学ぼう、と言って目を輝かせてくれるビジネスマンは多くないからです)。


そこで、今回を経て、たどり着いたところまでを、言葉にしておこうと思います。

私が勝手に思ったことを、私なりに言葉にしただけのものであることにご留意ください。


さて、まずは、やんわりと外堀を埋めるような言い方からはじめると、「アート」とはこんな感じのものだと思っています。



そうやって、色々と考えた結果、今のところ、一番気に入っているのはこれです。


今の私によると、

アートオブホスティングの文脈における「アート」とは


「社会と芸術が分断される以前の芸術」  


より積極的な言い方をすれば、


「芸術のための芸術ではなく、社会を彫刻するための芸術」

そして、それを宿した技であり、心のあり方。


とも言えるかもしれません。(「社会彫刻」という、私の好きな言葉があります。)


古来、芸術は、社会と密接に結びついてきたものだと言われています。たとえば、踊り、音楽、神話や民謡など口承文芸などによって、自分たちのアイデンティティを定義したり、未来を探求したりすることが、それです。ネイティヴアメリカンの民芸品や語りはその典型的な例です。


英語サイトですが、中段にまさしくそれが行われている時のイメージがあります。

今回参加した講座の場で言えば、たとえば、こんなことが、私には「アート」に見えました。一部だけ書きます。


  • ワクワクした気持ちを誘い、約束の時間よりも少し早く会場に来たくなってしまう「お呼びかけ」(Art of Invitation と呼ばれるもののようです)
  • 相手の思い込みや前提をゆらがせ、深い知性を引き出す「問いかけ」
  • 真実の物語を語る「話し方」「声色(喋り声)」
  • 複雑なものを複雑なまま、その全体性を伝える「絵を描くこと」「詩や比喩」(私のおセンチな言葉づかいはこの練習のつもりです)
  • 相手に共感を伝える「涙を流すこと」(それを見た相手の内省を促したり、勇気を起こしたり、癒しを与える表現であるという意味でアクティブな行為です)

パッシブな(受信側の)アートもあるように思います。


  • 判断を保留したまま「聴き置くこと」
  • 何が起ころうとしているかを「察知すること」


それらから、考察してみた「アート」の性質はこうです。


<アナログで生きた体験から習得するものである>

  • デジタル化して記録・保存・コピーできない。データを集めて真似をしても再現できない。
  • 実際に体験をすることによってしか、その門は開かない。 

バットの振り方について本を100冊読んでも、野球の試合で活躍できるプレーヤーになれないのと同じです。


<人の数だけ存在する奥義である>

  • そのアートの持ち主の「あり方」や、その人のオリジナリティと結びついている。

つまり、すべての存在にオリジナルに備わっている

  • 体の大きさや声帯の形など肉体的な特徴先天的な要素も影響する。
  • 決まったやり方がなく、その人が自分なりに練習をしつづけて、独自の「味わい」を出していく。
  • 完全な代替は、決してできない。(これは、社会とは、機械のように分解し、部分を代替できるものではなく、「Living system(生態系)」つまり「変化をし続ける相互依存関係」であるという考え方と関わっていると考えています。)


それで思い起こしたことがあります。 「アート」の実践者の中でもArt of Harvestingを備えた方々の現場を見ていると、彼らは大切なメッセージを扱う際、「手書き」をすることが多いです。記録の時もパソコンをカタカタしていないし、自身の発表の時もパワーポイントを使いません。

その「アート」の魔法にかかり、一般的に言う会議の次第や議事録が、学びのイメージを想像させるカラフルな言葉と絵になったことを何度も見たことがあります。最初にそれを見た時は、びっくりしました。


思えば、文字一つとっても、デジタル媒体では、どんなに私が想いを込めて、時間を使って「ありがとう」とタイピングしても、それがメイリオならば、それはメイリオです。

それは、誰かが皮肉を込めて予測変換で0.2秒くらいで打ったメイリオの「ありがとう」と同じ、メイリオです。


このため、アートオブハーベスティングの実践者は、アナログに、その時に人の内面で起きていること、その人だからこそ感じたことを、できる限りそのまま皆に明らかにするよう表現し、共感や共創造に貢献できる形式を採用することが多いのだと理解しました。

つまり、「手書き」は「アート」の性質を踏まえた、意図ある実践なのだと理解しました。

(今更そんなことに気付いてるのかと思う方いらしたら、ごめんなさい。)


実際に私は、そうして真心を込めてつくられたものを見ると、思考や感情が大いに刺激されます。感動しながら書いた字は、やっぱり、それが宿っているな、と思って。



「それがメイリオならば、それはメイリオです」

というのが革命的な名言に聞こえてきました。

すみません。


(もちろんメイリオはなにも悪くありません。

むしろいつもありがとう)



脱線しましたが、これらの「アート」は、成長の効率性や同質性を求める、機械のような社会では、あるいは、ITが発達して対面コミュニケーションが減ってしまう環境では、衰退してしまう類のものです。「職人技」が衰退してしまうのと同じ理由だと思います。


また、改めて、社会と芸術のつながりという視点から、武芸や茶道について調べてみると、豊かな示唆があります。

たとえば、人と戦うやり方が『五輪書』のように、精神的なあり方論になったり、当初薬として飲まれていたお茶が、茶道というインタラクティブな芸術行為やインスタレーションのようになっている、というようなことです。

それらの社会的な起源から、芸術的に変遷していくものまでの、全体像を包含するものが、件の「アート」が差しているものの核心に近いと考えています。


なお、そこに「芸術」という言葉が、いまいちフィットしない気がするのは、分断をイメージさせるものが多いからだと思います。

芸術と現実社会の分断、「芸術は"ぜいたく品"。つまり、一部の上流階級や"知識人"のもの」という階級的な分断、あるいは、「芸術のための芸術に至高の価値があり、そうでない芸術は劣るものだ」という思想の分断、を私が感じているせいかもしれません。


アートオブホスティングの「アート」は、私によると

「社会と芸術が分断される以前の芸術」

「社会を彫刻することを目的とした芸術」

そして、それを備えた技であり、心のあり方。 


それを踏まえると、結局


  • テクニックでなくスキル
  • やり方でなくあり方


は端的でわかりやすい言葉だと思います。


ちなみに、「社会と教育が分断される前の教育」という言葉も出てたので、また今度の思考の種として取っておこうと思います。


ここまでで、アートとは?について、ある程度考えたので、次に、「場をつくり、支える」とは何かを考えたいのですが、もう長いので


再びつづく