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渋谷昌孝(Masataka shibuya)

彼シリーズ「2222年」

2021.12.26 12:32
彼はみずからの仕事の目的を知らない。もし仕事にはじめと終わりがあるとしても、そのどちらも霞んでいた。仕事は、突然なんの前触れもなしに眼のまえに現れる。彼の意向を無視するかのように、あるいは人格を否定するかのように仕事だけが突発的に現れる。それがどうも上空から落ちてくるらしいのだ。彼はこうして先のみえない労働に機械的な心でもって専念せざるを得ない。しかも仕事の内容について知ることはできない。上層部の指令が下るだけで仕事の目的は知らされないのだ。あたかも途中から仕事の一過程に参与したかと思った途端、その仕事の結末を見届けることなく手放すといった感じである。ここで上層部から仕事が降ってくることに疑問があるだろう。この世界は、いまや上層部という特権階級を完璧に構築してしまったのだ。すなわち地球から離脱した貴族的な連中が、故郷を捨て新たな地を空中に開拓したのである。これがいわゆる城と称される存在であった。

この城と呼ばれるもうひとつの世界が、二百年あまりの-彼らの言葉を借りるなら-高度な次元の労働力の名誉ある集積として上空に築かれたのである。城の住人は地球の住人とは同じ人類とは思えないくらいに乖離している。城の住人たちは数式でこそこそと蚊の飛ぶような声で喋る。とはいっても彼らは意志伝達の方法をその都度変化させるので、喋る必要性すらない。喋るという行為が曖昧であると悟った彼らは、数式と数式を交わし合うことで情報の伝達をするようになった。感情はすぐさま不要なものとなり涙とか感動などは過去の伝説として語られる程度であった。城に住む人間はどれも似たり寄ったりで区別がつかない。まるでコピーがコピーされている具合なのだ。城の言語は数学なので、そのほうが何かと都合がいいものらしい。城の最大の特徴は、その堅固な完璧さにある。完璧でありかつ完全であることが城を城たらしめていると言っても過言ではない。欠陥や失敗は彼らにはないので、彼らには間違いという概念がそもそもない。正解といわれる世界が彼らの世界のすべてなのだ。

地球人である彼は、こうした城の存在を知らない。おなじ地球にいるならば少しは城についての噂も耳に入ってくるだろうが、城の存在が見えないのだから噂すら立たない。城は秘密裡に徐々に計画され内々に完成されてしまったのだ。城は地上から遊離した空中を住処とした。ただ城の住人とて地球との接触を完全に断ち切った訳ではない。彼の前に絶えず仕事が現れるというかたちでまだ関与している。彼は仕事をしながらこの仕事の真の目的を知らない。仕事は途中から始まりまた途中までしかないので、誰の何のための仕事であるのか知られることはない。仕事の完成はどこでなされるのか。完成された仕事はどこに消えてしまうのか。実際、仕事の最終過程に携わった地球の住人の話によれば、仕事は完成の瞬間に吸い取られるように上空に消えてしまい、挨拶がてらすぐさま新しい仕事が降ってくるのだそうだ。こんな仕事がいまどきあるのかと首を傾げたくなる仕事もある。地球上には永らく歴史というものが忘れ去られていた。というのは、情報が一切ないからであった。情報がないという情報がそもそもないのであるから、疑問のもちようがない。だから大変であろうが苛酷であろうと知る由もない。何が大変なのか知ることがないし、苛酷とは何かをも知るすべがない。彼は機械であった。

一方の上層部である城はどうか。地球という下方に向かって仕事を投げおろす。出来栄えに応じて食糧を(よく調理されたした温かい料理)を差しだすのである。料理は空中をゆらゆら漂いながら地上に降りていく。地上の彼はその美味しそうな匂いに惹きつけられ、ハイエナのように獰猛になって(このときばかりは)貪りつくのであった。仕事の正体とはまさにこれなのだ!

城の住民を喜ばす喜劇が始まったのである。