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浮世絵

015外桜田弁慶堀糀町

2017.08.26 04:04

「外桜田弁慶堀糀町」 

(安政三年(1856)五月 夏の部)



桜田門(外桜田門)あたりから桜田堀越しに、西側、国会議事堂方向をながめた絵であ る。

画題にある「弁慶堀」は、現在の桜田堀であり、赤坂見附の弁慶堀ではない。   

絵の左手の赤い門と白い壁は近江彦根藩井伊家35万石の上屋敷。

現在の国会前庭北側を すべて含む巨大なお屋敷であった。

戦前は陸軍参謀本部の建物が建っていた(「日本水準原 点」があるのもそのため)。井伊家といえば桜田門外で殺害された井伊直弼だが、「万延元 年(1870)3月3日の事件の4年前のスケッチである。

…直弼はまだ大老に就任していない」(暮し の手帖本)、そんな時期の絵という。  

次いで右に、三河田原(タハラ)藩三宅(ミヤケ)家(1万2,O00石)の上屋敷。

現在は最高裁判所 がある。

小さい藩だが、「三宅坂」交差点にその名を残す。

渡辺華山を生んだ藩で、説明板 が交差点にある小公園(平和の像)に立つ。   

三宅家の右隣りが、播磨明石藩松平家8万石の上屋敷。今は国立劇場が建つ。   

最後右端の火の見櫓を持った屋敷は定火消(ジョウビケシ)御屋敷で、半藏門の手前にあった。   

絵の細部を観察すると、井戸が二つ描かれているのが分かる。

中央左、通りの左手に釣 瓶を3台つるした井戸が「桜の井戸」。

そして、その通りのさらに先、右手の土手ぎりぎり に「柳の井戸」。

前述の通り、今もまったく同じ位置に残るのがうれしい。   

なお、弁慶堀は京都の大工、弁慶小左衛門が縄張して完成させたことによる命名である。


「東京シティガイド江戸百景グループ」による