アメリカの大学、終わってる、、、
アメリカの大学、終わってる、、、
いや、「アメリカの、、、」というのではなく、おそらく世界中の大学が同じような状況にあり、大学に限らず、私たちを取り巻く様々な状況の中でこれは起こっていることだなーと思いながら、『専門知は、もういらないのか 〜 無知礼賛と民主主義』を読み終えました。
著者が冒頭に書いているこちら、、、
「私がこの本を書いたのは、心配しているからだ。この国(アメリカ)には、筋の通った、確かな情報に基づく議論はもはや存在しない。平均的アメリカ人の基本的な知識のレベルはあまりにも低下し、「知識が足りない」の床を突き破り、「誤った知識を持つ」を通しこして、さらに下の「積極的に間違っている」まで落ちている。」
27年前、アメリカ大学留学を専門に扱う留学コンサルティング会社を立ち上げて、15年以上事業をしてきた立場で言えば、今でも世界最高峰の教育はアメリカにあると思っているし、でも、その一方であまりにも数が多く、ジャンクな大学も腐るほどあるとは思っています。いや、思っていました。。
数が多くて、ジャンクな大学が、、、という意味では日本も同じでしょう。
ただ、大学そのものがダメになったとか、専門家(教授たち)のレベルが落ちているというよりも、著者が言うところの「問題なのは、私たちがものを知らないのを誇らしく思っていることだ」や「問題は、確立された知識に対する人々の無関心ではなく、そうした知識に対する積極的な憎悪の出現である」というところ。
もちろん、「私たち」と言っても、もちろん「全員が」ということではありませんが、その風潮は強くなっているようには感じます。
本書のキーワードでも出てきた「メタ認知能力」と「確証バイアス」
僕自身も自分自身をメタ認知できているかどうか分かりません。自分を過大評価しているところはあるでしょうし、知らないくせに知っているふりをしてしまうこともあります。でも、そうならないようにしたいとは思っているし、別に「知らないことを知らない」と言うことをあまり恥ずかしいとは思っていません。
えっと、、何を書こうと思っていたのかだんだん分からなくなっていますが、、、とりあえず、大して調べもせずに本も読まずにすぐにググって分かった気になることだけはやめよう。
いやーー、この本、特に大学教育に関わる人は読んだ方がいいなー
ちなみに、大学で教えている立場で響いたのは、本書に書かれた「学生たちが、自分たちと教師が知的また社会的に対等であり、自分たちの意見には教授の知識と同じ価値があると考えるのは、それが無邪気でもそうでなくても、彼らのためにはならない。大学も学生たちのそうした誤解を解くどころか、むしろそれを助長し、その結果として若者たちは、自分が実際よりも頭がいいと勘違いすることになる。」という箇所。
学生たちと向き合うこちらの意識が問われます。