事務局長コラム-番組小学校-
よく「りっせいどうなんねん?」系統のご質問も当会事務局に聞かれるので、少し、日々の会議などの場・自治連合会拠点であります元・立誠小学校に関して。
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現在、京都市では、番組小学校統廃合後の小学校跡地活用が順次進められています。
今年度には、元・立誠小学校の跡地活用に関して、事業者(株式会社ヒューリック)が選定され、地元・京都市・事業者による三者会議を経て、工事が着手されようとしています。
これまでも、元・明倫小学校(現京都芸術センター)、元・龍池小学校(現京都国際まんがミュージアム)元・清水小学校(NTT都市開発がホテル化)、元・春日小学校(御所東小学校として新築予定)、元・貞教小学校(京都美術工芸大学東山キャンパス)等が番組小学校としての成立から京都市小学校としての役目を終えた後、新しい施設として使用されています。
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さて、立誠を卒業された方ばかりではありませんので、番組小学校がなんなのか、ウィキあたりから。
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近世、京都には「町組」という住民自治の組織がありましたが、明治維新の前後に、町組は「上京(下京)○○番組」という通し番号のついた地域的なまとまりを持つ組織に再編され、「番組」と呼ばれるようになりました。1869年(明治2年)には、27程度の町を1番組として、上京に33の番組、下京に32の番組、合計65(同年、下京で1番組が分離し、番組の数は66となった)に再編されるとともに、1つの番組に対して自治会所機能を併せ持つ小学校が1つ作られることになり、同年中に64校の小学校が開校されました。京都府は、各番組に対して、新築校舎の模範設計を示してており、校舎は2階建てであり、1階中央の玄関を入ると、左右に大小の差のある男女の筆道場が配置され、2階には広間の講堂、出勤場(職員室)、算術教室が置かれていました。建設費は、各番組に対して、京都府から800円が貸与され、半額が無利子の10年年賦で返済の予定とされていましたが、実態は番組ごとに異なっていました。また、各番組の全戸別に対して、半年に1分の軒金が課せられ、有志による寄付と合わせて、恒久的な運営費に充当するものとされていました。
この番組は1872年(明治5年)には「区」として再編され、さらに1879年(明治12年)郡区町村編制法により上京区・下京区が置かれると、「組」と改められました。
市制によって誕生した京都市が、1892年(明治25年)に学区制度を確立し、番組をルーツとする学区は、1893年(明治26年)に上京区28学区、下京区32学区となり、この形は1941年(昭和16年)の国民学校令により学区による小学校の運営が廃止されるまで存続しました。その後、戦後の6・3・3・4制になり、もとの小学校を新制中学の校舎に利用するなどによって小学校の通学区の変化がありましたが、戦前の学区制度廃止前の学区は「元学区」という住民自治の単位として現在も生き残っているものです。
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さて、現在ものこっている元・立誠小学校の鉄筋コンクリート造の校舎ですが、1928年(昭和3年)に完成したもので、それ以前の校舎は木造で、現在のMINAあたりにあったそうです。