4151 - 協和発酵キリン(株)
協和発酵キリン株式会社は、医療用医薬品事業・バイオケミカル事業等を行う、総合バイオメーカーです。
キリンホールディングスの子会社で、キリングループに属します。
独自の抗体高活性化技術に強みがあり、富士フイルムと提携しています。
概要を見てみましょう。
1937年に寳酒造・合同酒精・大日本酒類製造の共同出資によって設立された「協和化学研究所」を淵源としています。
当時は軍事用としてアセトン・ブタノールやイソオクタンの必要性が高まっており、アルコール発酵の応用でアセトン・ブタノールやイソオクタンの微生物発酵による合成を研究することが主目的でした。
1944年には製造プラントの稼動に漕ぎ着けたが、眠り病などの異常発酵の解決に手間取り、実際に量産体制を整えたのは終戦後の1948年にまでずれ込みました。
その後戦時中の被害からの企業再整備に伴い、1949年に現在の会社を設立しました。
加藤辨三郎が初代社長に就任し、発酵技術を基盤としてペニシリンやストレプトマイシンなどの医薬品製造や焼酎をはじめとした醸造業として再出発しました。
1955年には合成清酒「利久」の醸造元だった利久発酵工業(理化学興業(株)、理研酒工業)を、1960年には「ダイヤ焼酎」などの醸造元だった日本酒類(大日本酒類製造の後身)をそれぞれ吸収合併して酒類事業を拡大させる一方で、飼料や食品添加物、化学品への製造・販売にも進出しました。
2000年以降は事業再編を精力的に行いました。
2002年9月に酒類部門をアサヒビールと合弁・分社化した「アサヒ協和酒類製造」に移行し、なお且つ酒類製造子会社であったサントネージュワイン(山梨県)、ほか2社の所有株式全てをアサヒビールへ譲渡しました。
その後、2005年にアサヒビールとの合弁を解消し、現在はアサヒビールの子会社のニッカウヰスキーが協和醱酵工業が製造発売していた焼酎(大五郎、かのか、玄海)・ワインの製造を引き継いでいます(アサヒ協和酒類製造は2006年1月1日付けでニッカウヰスキーと合併した)。
フリーズドライスープの「本格派・たまごスープ」などで知られる食品・調味料事業については、2005年4月1日に「協和発酵フーズ」として分社しました。
その後、キリンビールグループとの経営統合により、2009年4月1日にキリンフードテック(旧・武田キリン食品)と統合し、キリン協和フーズが発足しました。
化学品部門は、化学品製造子会社である協和油化(1966年設立)と2004年に統合し、協和発酵ケミカル(現、KHネオケム)となりました。
2007年10月、キリングループとの戦略的提携(キリン傘下入り)を発表しました。
まずキリンホールディングスが友好的TOBによって協和醱酵工業株式28.49%を取得しました。
そして2008年4月1日、協和醱酵工業がキリングループの医薬品事業会社であるキリンファーマを株式交換により完全子会社化しました。
キリンホールディングスの株式保有比率は50.10%となり、同社の連結子会社となりました。
協和醱酵工業・キリンファーマ両社は、2008年10月1日に協和醱酵工業を存続会社として合併し協和発酵キリン株式会社となりました。
現在は、医療用医薬品が連結売上高の約75%(2012年)を占め、医薬品メーカーとなっています。
また連結売上高の約23%(2012年)を占めるバイオケミカル事業では、各種のアミノ酸の発酵生産において味の素社と双璧です。
うまみ調味料として用いられるグルタミン酸ナトリウムにおいては味の素社に先んじて世界で初めてその発酵技術を確立した実績があります。
旧・協和醱酵工業は第一勧銀グループ(現 みずほグループ)だが、傘下入りしたキリングループは三菱グループに属するため、現在の協和発酵キリンは第一勧銀(現:みずほ銀行)色と三菱色を併せ持つ企業です。
防府工場には2002年まで硬式野球部があり、都市対抗野球にも何度も出場していました(1975年の第46回大会、1991年の第62回大会、2002年の第73回大会に出場)。
主なOBには津田恒実(広島)・上本達之(西武)などがいます。
協和発酵キリン株式会社 テレビCM
投資判断ですが、時価総額は売上高の3倍で、営業利益率は10%あり、財務は最強クラスです。
チャートは歴史的高値水準で、信用買いが若干増えつつありますが、需給を壊すほどでは現在はないと思います。
キリンが半分保有する大株主で、おそらく手放すこともないでしょう。
そうすると、株価はどうしても高値水準で推移する可能性が高いです。
ただ割安株はたくさんありますので、今回は割安株購入を優先し、投資判断は見送ります。