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ZIPANG TOKIO 2020「御創建1700年 熊野那智大社 光り輝く山『那智御瀧』から始まる神社誕生(その壱)」

2017.08.28 12:00

那智参詣曼荼羅(県指定文化財)



熊野那智大社

ご由緒

熊野那智大社は、田辺市の熊野本宮大社、新宮市の熊野速玉大社とともに熊野三山の一社である。 全国約4,000社ある熊野神社の御本社でもあり、日本第一大霊験所根本熊野三所権現として崇敬の厚い社ある。

古来熊野那智大社はご祭神「熊野夫須美大神」の御神徳により「結宮(むすびのみや)」と称され、人の縁だけでなく諸々の願いを結ぶ宮として崇められました。那智御瀧は自然を尊び延命息災を祈る人が多く、また八咫烏の縁起によりお導きの神として交通・海上の安全の守護を祈り、さらに御神木の梛の木は無事息災をあらわすものとして崇められています。熊野の自然と共に神々の恵み深い御神徳のある神社である。


熊野那智大社について

熊野那智大社は、神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)の御東征を起源としている。

西暦紀元前662年、神日本磐余彦命の一行は丹敷浦(にしきうら)(現在の那智の浜)に上陸されました。 一行が光り輝く山を見つけ、その山を目指し進んで行ったところ、那智御瀧を探りあてられ、その御瀧を大己貴命(おおなむちのみこと)の現れたる御神体としてお祀りされました。

神日本磐余彦命の一行は天照大神より使わされた八咫烏の先導により無事、大和の橿原の地へお入りになられ、西暦紀元前660年2月11日に初代天皇、神武天皇として即位されました。

先導の役目を終えた八咫烏は熊野の地へ戻り、現在は石に姿を変えて休んでいるといわれている。(烏石)

その後、熊野の神々が光ヶ峯に降臨され、御滝本にお祀りしておりましたが、仁徳天皇5年(317年)、山の中腹にあらためて社殿を設け、熊野の神々・御瀧の神様をお遷し申し上げました。

これが熊野那智大社の始まりとされている。

那智の御瀧は熊野那智大社の別宮、飛瀧神社の御神体としてお祀りされている。


熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)
[世界遺産・御本殿域:国指定重要文化財]

御本殿

玉垣内には正面に五殿がある。
右から四つ目の御社殿が、熊野夫須美大神(イザナミノミコト)をまつるお宮でひときわ大きく建てられている。各社殿とも熊野造りで正面の簾の奥は蔀戸で、左側には格子戸がある。殿内は外陣・内陣の二つに区切られている。外に廻廊があり、正面に木階があり、床下に腰袴がある。

右から 第一殿 滝宮(大己貴命) 第二殿 証誠殿(家都御子大神) 第三殿 中御前(御子速玉大神) 第四殿 西御前(熊野夫須美大神) 第五殿 若宮(天照大神) 第六殿 八社殿(天神地祗)


拝殿

主祭神は熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ、イザナミノミコト)
夫須美(ふすみ)とは「むす」という生成発展を意味する言葉であり、同時に「結(むすび)」という意味を持っている。このため、かつては「結宮(むすびのみや)」という通称で呼ばれていました。
他の二山と違い、御滝の神様を併せ祀っているため一柱多く神様を奉斎している。元々は御滝の近くで祀られていましたが、約1,700年前に現在の場所に遷った。


八咫烏(やたがらす)・御縣彦社(みあがたひこしゃ)

八咫烏(やたがらす)は熊野の神様のお使いである、三本足の烏。
より良い方向へ導く、お導きの神様とされ、熊野那智大社の境内にある御縣彦社(みあがたひこしゃ)でお祀りされている。 また、正面には八咫烏の銅像も鎮座。


烏石(からすいし)

即位以前の初代天皇、神日本磐余彦命を奈良の橿原の地まで道案内をした八咫烏が、案内を終えてこの那智山で【烏石】に姿を変え休んでいると伝わる石である。室町時代の那智山を描いた【那智山宮曼荼羅】という絵にも現在と同じ場所で、御本殿に囲まれる様にこの【烏石】が描かれている。


枝垂桜(しだれざくら)

熊野那智大社の枝垂れ桜は花の形が極めて小さく、その上品さは比類がなく、上臈の姿に似ていると称されます。後白河法皇御手植えの木を代々伝えたものとされ、古図にも描かれています、毎年三月末から四月初めころに咲き、県指定の文化財である。


宝物殿

那智経塚の出土品を始め、熊野那智大社文書(国指定文化財)等、熊野信仰の歴史を語る重要資料を展示し一般の閲覧に供している。


秀衡桜

熊野詣の盛んな時代には広く人々の参詣あった。奥州の藤原秀衡も夫人と共に熊野詣をし、その時奥州から持ってきた山桜がこの秀衡桜であると伝えている。四月の二十日頃に雲か霞かと疑われる程に真白く美しく咲く珍しい花で県指定の文化財である。


大クス 胎内くぐり

樟霊社(しょうれいしゃ)
樹齢約850年の樟を御神木として祀っている。 幹が空洞化しており、護摩木(300円)を持って通り抜けることが出来る。
平重盛の御手植えと伝わっている。


那智御瀧

那智御瀧(世界遺産・国指定名勝)

那智の奥、大雲取連山から流れている流水が大滝となっており、全山に那智48滝と申すように数多の滝があり、一番高いのが那智御瀧である。 一の瀧とも申し、高さ133m・銚子口の幅13m ・瀧壺の深さは10m以上あり、流下する水量は普通毎秒1トン程度といわれている。 この滝の上流には二の滝、三の滝があり総称して那智の大滝とされ、国の名勝になっている。 また下流には滝修行で有名な文覚滝(もんがくのたき)がある。 水は生命の母と申し、那智山信仰の根元である。古来、延命長寿の信仰が篤く、数多の滝修行者や参拝の人々が詣で、今日もこの御瀧の水は延命長寿の水として尊ばれている。 この付近一帯は吉野熊野国立公園特別地域であり、付近の山は那智原始林として国の天然記念物であり、高浜虚子は「神にませばまことうるはし那智の滝」と詠んでいる。 那智の扇祭りの御火行事はこの参道で毎年7月14日に斎行されている。 お滝拝所舞台(参入料 大人:300円・小中学生:200円 未就学児:無料) お滝を一番近く、真正面で拝観できる観覧舞台。 延命長寿の水と伝えられている滝つぼの水を飲むことも出来る。


熊野那智大社別宮飛瀧神社

御瀧そのものを大己貴命が現れた御神体としてお祀りしてある。
熊野の神様は元々ここでお祀りされていた。


大門坂

熊野古道は、往古熊野詣の人々が通った道を指し、京洛の地より山川80里片道15日間の行程であり、熊野九十九王子で有名である。
熊野那智大社付近には大雲取・小雲取越えや、800余年を経た夫婦杉のある大門坂が、昔の石畳の姿のまま今に残っており、国指定の歴史の道として保護されている。


清涼亭

中世の頃、熊野詣に足を運ばれた法皇様、上皇様の御宿泊所「実方院」跡に建てられており、現在は御参拝でお疲れになった皆様の休憩所として御利用頂いておられる。

交通アクセス

JR紀勢本線 紀伊勝浦駅 紀伊勝浦駅より熊野交通バスで那智山バス停まで約30分、タクシー20分 <駐車場>神社駐車場30台(神社防災道路通行料800円が必要です)



鎹八咫烏記
伊勢「斎宮」明和町観光大使


協力

熊野那智大社 〒649-5301 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1 TEL 0735-55-0321

文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話番号(代表)03(5253)4111