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浮世絵

018虎の門外あふひ坂

2017.08.29 05:44

「虎の門外あふひ坂」 

(安政四年(1857)十一月 冬の部) 

  

赤坂御門から日枝神社の下を巡り、虎ノ門の近くまで細長くのびていた溜池の水が、 「赤坂のドンドン」といわれた堰から流れ落ちている。

この堰から外湊に沿って 虎ノ門方向に下る坂を葵坂といった。

画の左手遠くに屋根だけ覗く辻番所で葵を 栽培していたので葵坂の名が付いたという。

現在、虎ノ門病院の前の道が葵坂であるが、 明治時代に平らに削られ、その土で溜池が埋め立てられたという。池も坂もなくなり、 広重の時代を表すものは全く失われており、現状から当時を想起させることは困難である。   

また、溜池の基となる堰を築いた矢島長雲の功績を後世に伝えるため、堤に榎を植えたと 江戸名所図会は記し、いまアメリカ大使館前から赤坂ツインタワーに下る坂を榎坂と いうのはこれに由来するという。

広重が絵の左手後方に描いた巨木はこの榎である。   

この一帯は外濠を挟んで大名の上屋敷が集まっており、右手の丘の上に灯りの点った 屋敷は内藤右近将監の上屋敷である。画の手前の道を右に行くと丸亀藩京極家の上屋敷で、 邸内に金比羅宮があった。   

広重は葵坂をこのほかにも「東都名所坂つくし」や「江戸名所」で描いているが、 そこには金比羅宮の縁日や銅鳥居が前景に取り入れられている。

この名所江戸百景では、 あえて神社や鳥居は描かず、画面手前の寒行裸参りの職人に持たせた長提灯に 「金比羅大権現」と書き、画面の外にある金比羅を登場させている。

寒行とは年季奉公中の 見習いが技量向上を願って寒中に神社や寺に参って水垢離をとりながら祈る風習である。   

この画には星空に鎌のような三日月と雁の群、巨木のシルエット、堰を落ちる水量を背景に、 寒行の二人と冬支度の通行人、珍しく猫2匹の他は「二八そば」(中央)、「太平しっぽく」 (右手前)など暖かい食べ物の屋台が登場し、寒暖を一度に表現している。 


東京シティガイド江戸百景グループ」による