ZIPANG TOKIO 2020「熊野の神域・那智『那智の火祭り』は熊野の神々が一年に一度、御滝本に里帰り(その弐)」
那智の火祭
「那智の扇祭り」は熊野那智大社の例大祭に行われる行事で、毎年7月14日に斎行される。太陽を模した扇神輿と呼ばれる板状の依代12体が、本殿から那智の大滝まで渡御して、五穀豊穣や家内安全などを祈願する。扇神輿の渡御途中からは、12本の大松明が先導してその経路を浄めることから、「那智の火祭り」と呼ばれることもある。熊野信仰の拠点の行事として厳格に伝承されてきた一方で、太陽や水、火といった自然崇拝的な性格が濃厚にみられる行事である。国指定重要無形民俗文化財に指定されました。
熊野那智大社でお祀りしている熊野の神々はもともと現在の那智の滝付近でお祀りされていました。
その神々を今から約1700前に那智山中腹にお遷ししたのが熊野那智大社の始まりとされている。
この祭典は熊野の神々が一年に一度もともとお祀りされていた御滝本に里帰りをし、ご神威新たにする、という神事である。
午後2時に飛瀧神社の参道にて「御火行事」が行われる。 数百年の杉のなか昼なお暗い御滝の参道に映える大松明の炎が注目される熊野那智大社の一大神事である。
国指定重要無形民俗文化財「那智の扇祭り」通称で「那智の火祭」とも呼ばれている。
神嘗祭遙拝式神嘗祭奉祝祭
2017年10月17日
神嘗祭(かんなめさい)とは皇室の大祭であり、その年に収穫された新穀を天照大神に奉る儀式です。古来より皇室から伊勢の神宮に幣帛と勅使が遣わされ、奉幣の儀が奉仕されている。
明治四年以降、皇居の賢所でも神嘗祭の儀式が行われるようになり、これ以後、宮中三殿と伊勢の神宮で神嘗祭が執り行われている。
神嘗祭のとき、伊勢の神宮では祭器具が一新されることから「神宮の正月」ともいわれている。また、伊勢の人々は神嘗祭のことを「おおまつり」と呼び、各種の奉祝行事を行っている。
二十年に一度、社殿の御造営を行う式年遷宮は「大神嘗祭」とも呼ばれている。
©伊勢神宮
新穀を捧げる祭としては十一月の「新嘗祭(にいなめさい)」があるが、十月の神嘗祭は天皇陛下が自らお作りなられた御米を天照大神に捧げるお祭りである。
それに対して、新嘗祭は天皇陛下が新穀を天神地祇に捧げ、また親しく食される祭儀が行われる。 また、全国の神社においても新穀を捧げ、そののちにその年に収穫された新米を食する。
御創建1700年記念行事
宝物殿特別展開催
2017年1月01日~2017年12月31日
「熊野十二所権現古神像」 15体
かつてはご神体として本殿に奉安されていたもので、一時代の熊野十二所権現の神像として全て揃って現存しているものでは唯一のものです。
通常は宝物殿の収蔵庫に納められていますが、御創建1700年にあたって、特別展示をしています。
1年間という長い期間となっていますので前期8体(6月末まで)・後期7体の2回に分けての展示となっています。
熊野那智大社社殿に安置されてきた熊野十二所権現古神像15躯は、熊野の神々を俗体で表したひと揃いの神像彫刻として、現在確認されている唯一の作例である。
銘記等の情報から、豊臣秀長による那智山復興造営にあたり、天正19~20(1591~92)年頃、その頃豊臣家お抱え仏師としてあった下御門仏師宗貞・宗印らにより作られた。
白玉石奉納
受付:午前9時~午後4時 初穂料:お一人 1,000円 於:熊野那智大社・飛瀧神社 お祓いを受けて頂き、普段は入れない場所までご案内のうえ白玉石を奉納して頂きます。 飛瀧神社ではお瀧拝所舞台も参入することが出来ます。
御朱印
初穂料:300円
熊野那智大社の御朱印には「御創建1700年」の記念の印が本年一年間押印されます。
特別御朱印『那智瀧図』
初穂料:2,000円
鉛筆精密画家篠田教夫先生による『那智瀧図』とともに墨書き押印される御朱印紙
御創建1700年の記念として限定1700枚の奉製で無くなり次第頒布終了となります。
熊野那智大社授与品
烏牛王神符
那智の瀧の水で墨を摺り、神職により一枚一枚奉製された御札で、古きより魔除けの御札として各家庭にお祀りされております。また中世、武士の間では血判状として、庶民の間では誓いの令として用いられました。
御初穂料 500円
烏牛王神符(からすごおうしんぷ)(牛王神璽(ごおうしんじ))
俗におからすさん、または千羽烏とも申しているこの神符は熊野詣の人々がその参詣の印として受け帰り、家々の神棚や入口、蔵の中などに奉斎するものであります。
古来、有名な那智御滝の秘所の名水を以て正月二日の未明に神秘行事を修して摺り上げ、宮中に二千枚を献じたのでありますが、尚今もこれを伝えて居ります。
正月未明、御滝の秘所の若水を汲み上げ、第四殿にて奉安。
二日、午前五時より牛王神璽摺初式として、先日汲み上げた若水を以て、牛王神璽の摺り初めを行う。
二日より七日まで、午後四時より牛王神璽祭が連日斎行される。これは牛王神璽の御神威を高める為だけに行われている。
八日には飛瀧神社にて御本社同様、牛王神璽祭が行われ、御滝の御神霊を受けることにより牛王神璽の御神威は極点に達し、この神事を以て満願となる。
悪魔退散、結(むすび)と熊野権現の信仰を今日尚伝えて居るものの一つであります。古書にもこの牛王の数々の霊験が伝わり、中でも起請文に用いられたことは余りにも有名でありまして、全国にこの信仰が強く残って居ります。これは信仰が現実の生活に結びついた最も顕著な例でありましょう
一般的には忠臣蔵として知られる元禄赤穂事件でも起請文として重要な役割を担った。
大石良雄(内蔵介)が仇討の意志を同志に確認するため、事前に作成提出させていた血判を返して回り、これを拒否して仇討の意志を口にしたものだけを同志として認めた。
これが神文返しとよばれ、これにより討ち入りが四十七人に選定された。
この時に血判、起請文として用いられたのが当社の烏牛王神符である。
浮世絵 歌川国芳「忠臣蔵四十七士の吉良邸討ち入り」
勝守(かちまもり)
神武天皇を、大和の地へお導きされた故事からお導きの御神徳があるとされる、熊野の神様のお使い、八咫烏が描かれております。
勝負事のお守り、物事を良い方向に導いていただくお守りです。
御初穂料 800円
八咫烏(やたがらす)について
日本サッカー協会のシンボルマークになっている「八咫烏」は神武東征の折、道案内をしたといわれる烏であり、熊野の神様のお使いとされている。
延喜式には「三足烏 日之精也。白兎 月之精也」と記され、朝廷の儀式用装束や祭具に、また日本各地の祭では鉾や的に太陽と烏、月と兎が描かれる。
太陽の中に住む霊力を持つ鳥が「八咫烏」である。八咫烏の咫(あた)は寸や尺といった長さを表す単位の一つだが、八百万が「たくさん」を意味するのと同様、八咫は「大きい」を意味している。
当社では拝殿左手の御縣彦社(みあがたひこしゃ)にてお祀りされ、導きの神様・交通安全の神様と崇敬を集めている。
無事、大和までの道案内を務めた八咫烏は熊野の地に戻り、石に姿をかえて休んでいるといわれる「烏石」が境内に存在する。(拝観料 5名以内1,000円より)
八咫烏とサッカー
サッカーを日本に紹介しその普及に大きく貢献した人物で中村覚之助(なかむらかくのすけ)(明治11年~明治39年1878~1906)という人がいる。
師範学校を卒業後、いったん小学校の教師になるも退職し、23才の時に東京高等師範学校(現:筑波大学)に入学する。
4年生の時に英国の「アッソシェーションフットボール」を翻訳・編纂して、ア式蹴球部を創設した。
これが日本で最初のア式フットボール(現在のサッカー)のチームであると言われている。
東京の大塚にあった雑木雑草に埋め尽くされていた新運動場の予定地を部員たちと共に整地に努め、ゴールを建てて練習を開始し、27才の時には横浜の外国人クラブに出向き、日本で最初の対外試合を行う。
その状況が全国に新聞で詳しく報道され、全国の中学校から蹴球指導の依頼が殺到。部員は各地の学校へ指導に出かけたと言われている。
同年、東京高等師範学校を卒業し、翌年、清国山東省南師範学校へ国から派遣される。
しかし、帰国途中の船中で発病し、29才の若さで急逝した。
この中村覚之助の出身地が那智勝浦町の浜の宮である。
日本サッカー協会のシンボルマークは日名子実三(ひなごじつぞう)氏のデザインによるものであるが、その図案の発案者は東京高等師範学校の内野台嶺(うちのたいれい)氏を中心とする人たちであり、内野台嶺氏は中村覚之助の後輩にあたる。
御創建1700年記念行事
2017年10月14日
御創建1700年式年大祭
飛瀧神社…午前7時~
熊野那智大社…午前10時~
御祈祷・御参拝
正式参拝
受付時間
午前8時から午後3時30分まで
お初穂料
5,000円より
団体10,000円より
20名以上お一人500円より
参拝時間
約30分
参拝後
ご本殿にて神職による由緒等の説明 (那智御瀧での正式参拝も承っております)
御祈祷
受付時間
午前8時から午後3時30分まで
お祈祷料
5,000円より
祈祷時間
約30分
願い事
お気軽にご相談ください
(那智御瀧での正式参拝も承っております※ 遠方の方には郵送祈祷も承っております)
神前結婚式のご案内
神前結婚式をご希望の方は御予約ください。
お二人での新たな人生のスタートを荘厳な熊野の自然に包まれて。
結婚式場
熊野那智大社 拝殿
結婚式初穂料
100,000円より
(着付室、新郎新婦 親族控室の使用料を含みます)
ご質問等はメール・電話にて承っておられますので、
お気軽にお問い合わせください。
協力(順不同)
熊野那智大社 那智御瀧 〒649-5301 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1
電話: 0735-55-0321
文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話番号(代表)03(5253)4111
熊野那智大社からのお願い
境内施設整備事業 御奉賛のお願い
那智山信仰の起源は神武天皇御東征に遡りますが、社伝によりますと御東征の折、那智山東の光ヶ峯に御神光が現れ天皇を補佐し、霊光は那智の御滝の淵底にお鎮まりになると、天皇これ御神威あらたかなるを叡感され御滝本に親らお祀りされました。その後、仁徳天皇五年(三一七年)に那智山中腹に社殿が創建され、御滝本より熊野夫須美大神をはじめ熊野十二所と御滝の神様をお遷ししお祀りしたのが、熊野那智大社であります。平成二十九年(二〇一七年)は御創建より一千七百年という大きな佳節に当たっております。
平成二十三年の紀伊半島大水害では、当社においても大きな被害を蒙りましたが、特に国の重要文化財であります御本殿については、各方面より多くの方々のご協力のもと無事復旧を果たすことが出来ました。しかしながら、国の史跡である拝殿(礼殿)については銅板屋根を始め老朽化が深刻な状況となり、早急に改修が必要となっております。その他境内建物の丹塗りの劣化や別宮の祈願所及び社務所の老朽化も目立ってまいりました。
つきましては、将来に向けた祭祀の厳修並びに世界遺産としての景観維持を図るために、御創建一千七百年を記念して、下記の通り境内施設整備事業を行うことと致しました。氏子崇敬者の皆様には本事業の趣旨を何卒ご理解頂き、熊野信仰への篤き真心をもちまして、本事業完遂のため格別のご支援ご協力を賜りますよう切にお願い申し上げる次第でございます。
熊野那智大社境内施設整備事業奉賛会
奉賛会 長島 正博
宮司 男成 洋三
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使