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Crossroads 〜20歳の時、なにしてた?〜

vol.3 和隆さん(44)【静かなる闘志の持ち主】

2017.09.01 06:38






◯和隆さんってどんな人?


—運命を変える、プラモデルに出会った幼少期 


「僕は幼稚園から小学校に上がる時期に、重い肺炎を患って、生死の境をさまよったんです。」
和隆さんは重たい口を開く。 

それでも担当医に、「生きたい!!死にたくない!」ということを幼いなりに力の限り訴え、

医師たちの必死の治療もあって一命を取り留めることができたのだという。 


それは本当に奇跡のようで、退院する際には入院していた日赤病院の中で先生や看護師さんが集まれるだけたくさん集まって、アメイジンググレイスを歌ってくれたという。 


健康な体を取り戻したものの、肺を刺激する激しい運動をすることができず悔しい思いをたくさんした、と話す和隆さん。


 そんな小学校1年生の時に和隆さんが出会ったのがプラモデル。

和隆さんが小学校低学年の頃といえば、時代はスーパーカーブームの全盛期で、
和隆さんの通う小学校の中ではスーパーカー消しゴムが大流行し、皆がこぞってコレクションをしていたんだとか。 


そんな時代に和隆さんもスーパーカーブームに乗っかって、運良くプラモデルに出会うことができた。 


 プラモデルが趣味という方は、結構世の中にたくさんいて、

「組み立てる過程が好きなんだ」そう話す人は多いけれど、和隆さんも例外ではないようだ。

 校庭で運動を思い切りできなかった和隆さんにとって、黙々と組み立てていくプラモデルはかけがえのない趣味になっていった。


 「組み立てる過程が好きでプラモデルにドンドンはまっていったんだ。」そう話す和隆さんはとても生き生きして見える。  



—「動くプラモデルがあるんだって!」友達に誘われ始めたラジコン  


プラモデルの魅力にとりつかれていた和隆さんだったが、やはり同学年の男の子たちが興じていたサッカーや野球などの激しい運動を伴う活動には小学校高学年になっても依然として参加できず、 

 勝ち負けを争うスポーツに憧れを抱きながらそれが叶わないジレンマに幼いながらに悩んでいた。 


そんな時に出会ったのがラジコンだった。 


当時仲の良かった友達から「プラモデルみたいに組み立てて操縦ができる機械がある」ということを聞きつけ
初めてラジコンを手に入れたのは小学五年生の時。


 部品を組み立ててラジコンを作り、操縦して仲間と速さを競い合う。
それは和隆さんのずっと願ってきたことが叶った瞬間だった。

 それからというもの、娯楽から入ったラジコンだったが、仲間とレースをするたびに競技としてのラジコンの魅力に惹かれていった。


 中学校に入学した後も、超がつくほどの猛練習を重ねる日々。
毎日近所の練習場で練習を重ねた。  



—負けん気の強さで、若干15歳。全日本選手権出場。 


彼の穏やかで物静かな見た目とは裏腹に、負けん気の強さは計り知れない。 

なんと15歳の若さで全日本選手権に出場し、日本全国12位に滑り込んだのだ! 


中京地区予選の参加者だけでも2万人を超えていたというから、日本全体で考えると、もの凄い倍率だったことがわかる。


 高校卒業後も、アルバイトやラジコンレース場の管理のお仕事と並行しながら来る日も来る日も練習を重ねる。


 そしてついに17歳の時、全日本選手権で準優勝を果たす。


 このとき惜しくも敗れた相手は、世界選手権で何度も優勝経験があり、日本選手権に至っては50回以上優勝しているツワモノで、 


和隆さんの尊敬する人物だったためそこまで悔しくはなかったそう(笑)

そのあとも精力的に活動を行っていた和隆さんは、
大会にも多く出場し実力をメキメキと上げていった。 


—きっかけは自分の限界までの結果が出たこと  


ラジコンにはその大きさを分ける名称として1/8,1/10,1/12というクラス(種類)があるが、 

その中でも最高峰と呼ばれるのが


1/12(トゥエルブ)。 


当時、レースで扱うものの中では最も難しいクラスに位置付けられる。


 和隆さんの年齢は、20代も後半になり、このクラスで10位以内に入ったら、もう行けるところまで行ったしるし。


「10位以内に入って納得のいくレースができれば、レーサーとしての生活は引退しよう。」 


そう決心をした。


結果、和隆さんは見事5位に食い込み、

やりきったという清々しい気持ちを抱きつつ、引退を決意する。 



—これからは自分のためではなく、誰かのために 


レーサーとしての活動をやめた後は、ラジコンの部品や関連商品を扱うショップやネット、通信販売の開設を通して、ラジコンを楽しむ人のバックアップするお手伝いをしているという。


「体が弱くできることが限られていた代わりに、やりたいことを存分にやり尽くすことができた。」 

「今までは自分の好きなものをやってきたから、これからはラジコンを楽しむ人たちの手伝いができるように、裏方として力を尽くすつもり。」 


そう意気込んだ和隆さんは、18歳の時に初めて買って以来、生涯の趣味である一眼レフカメラを持って旅行に出かけることも大好きなようだ。 


好きなことにとことん向き合っている和隆さんの人生はとても羨ましく
キラキラ輝いて見えた。  


◯オススメの映画は? 


始めて見たのがこの映画のアニメーション版で昔からすごく思い入れがあるんです。


ドラえもんの映画は、最後にちゃんと感動するシーンがあって、子供向けのアニメーションながらもすごいなあと思う。 


歴史上の人物がたくさん出てきてタイムスリップをするシーンがすごく好き。 


◯今、人生はズバリ何点?


50点。

 今まで、自分の好きな事、自分のやりたい事をだけをやって生きてきたから、これからは人のためになること、誰かのために活動したい。
と和隆さんは語る。


 「サラリーマンから見たらこんな悩みは羨ましいという人も多いかと思うけど。」と笑う。


 隣の芝は青く見えるということなのだろうか。これからもきっと和隆さんは充実した日々を送られることだろう。