美意識が高いと生きづらい?
アーティストライフコーチングの
高野直人(こうのなおと)です。
私は、音楽や本が好きだったので、
今までそういうものをたくさん、
味わってきました。
そういうものに、
たくさん触れていると、
自然と耳や目が肥えてきます。
そうすると、
その世界における価値の優劣が、
だんだんと分かるようになります。
私は高校生の頃に、
人生の師匠から、
「まず一流のものに触れよ!
そうすれば、
二流・三流は見抜けるようになる」
と教わったので、
その言葉通りに、
一流が「一流」と認めるような、
作品から触れてきました。
そうしていると、
本当に二流・三流というのが、
よく分かるようになるものです。
でも、そうなってしまうと、
質の低いものや、
美しさの足りないものに、
満足できなくなるんです。
もちろん、
どんなものでも、
良さを発見しようと思えば、
発見することができますし、
どんな存在も、
素晴らしいとは思いますが、
どうせ触れるなら、
より良いものに触れたいですよね。
目も耳も肥えてなければ、
「味噌も糞も一緒」
で良いのでしょうけど、
目も耳も肥えてくると、
「味噌の方がいい」
となりますよね。
人としてのあり方にも、
美しいあり方と、
そうでないあり方があります。
そして、
言葉とか所作とか気遣いなどが、
美しい人たちにばかり出会っていると、
そうじゃない人たちとは、
なるべく関わりたくなくなります。
特に、
繊細で敏感な感覚を持っていると、
美しいものに触れた時の感覚と、
そうでないものに触れた時の、
落差が激しいと思います。
美しいものに触れた時は、
すごく幸せな気持ちになるけど、
美しくないものに触れた時には、
ものすごく残念な気持ちになるとか。
今の世の中、
損得や効率ばかり求めて、
人としての品だとか、
情緒とか、恥じらいとか、
そういうものを持たず、
利己的で、粗雑で、
言葉に温かみのない、
残念な人たちをよく目にします。
そういう人たちを目にするごとに、
繊細で敏感な人たちは、
心が削られていくのではないでしょうか?
そういう人こそ、
美しい人々と触れ合う時間を、
増やした方が良いと思います。
そして、
自分が美しいと思えないものでも、
存在自体を肯定できないと、
苦しくなってしまいます。
「私はそれを好まないし選ばないが、
どんなあり方も素晴らしい」
と受け止められることも、
人として洗練された、
一つのあり方なのではないか、
と思います。
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