『時計』は、当て字?
おはようございます。
久しぶりのブログ投稿とはいえ、前回から4ヶ月も経ってしまっています。(反省)
今日は、12月30日。年の瀬ですね。お正月飾りがまだの方は、今日中に飾って下さい。なぜなら、31日は『一夜飾り』となってしまい、神様に対して失礼にあたってしまうからです。
さて、休むことなく時を刻み続ける『時計』ですが、実は『当て字』ということをご存じでしたでしょうか?
『とけい』は、もともと地面などの上に造った『日時計』のことで『土圭(とけい)』と書いていました。前回のブログ同様に『時計』も熟字訓のひとつなのです。
『時』の音読みは『ジ』、訓読みは『とき』です。
『計』の音読みは『ケイ』、訓読みは『はか(る)』です。
熟語には『湯桶(ゆとう)読み』があります。二字熟語の場合、上の漢字を訓読み、下の漢字を音読みとする読み方で『場所』『見本』『豚肉』『雨具』などがそうです。
『時計』は『ときケイ』の『き』が省かれて『とケイ』となった訳ではなく、機械式時計が日本人の生活の中に溶け込む過程で、日時計を表す『土圭(とけい)』に『時計』という漢字を当てて使うようになった訳です。
今のような機械式時計は、キリスト教と一緒に日本へ伝わって来ました。
キリスト教の宣教師フランシスコ・ザビエルからの贈り物の中にあったとされる機械時計(自鳴鍾)が最初と言われ、その記述から1551年のこと、今から470年前です。
時計がなくても時は刻まれ、過去ー現在ー未来と絶えることなく進み、つながっていきます。しかし、時計があるからこそ、時を知り、時間の大切さを感じるものではないでしょうか。時計が何かで、読み方を覚えるだけではなく、その向こう側も知ることで紐づけられた知識となり、語彙力が増し、思考を広く深いモノにしてくれます。
『知識』の『識』には『物事の道理を見分ける』という意味があります。『知ることで、物事の道理を見分ける』その力は、言葉と一緒に伸びていきます。
時が経つのは早いものです。ふと時計を見て「もうこんな時間なの!?」と思うことの、なんと多いことでしょう。しかし、大人も子供も同じ時の中を生きています。子供は、トキメキや発見が多いから大人とは時間経過の感じ方が違うといわれます。
来年は今以上に、忙しい中にも一人ひとりの生徒を大切に、国語力、学力の向上だけでなく、心の豊かさを伸ばせる一年にして参りたいと思います。
よいお年を、お迎えください。
みらい学習教室 東大和中央教室 杉本和功