背筋を伸ばして生きる / 己に敏感であれ
もう年末かというのは、いつもクリスマスが明けた頃に感じることではあるが、今年は特にそれが濃厚だった。
こんな風にして時が過ぎ去ることに慣れていき、それはつまり「我慢」だったり「忖度」だったりで、自分の時間を大切にすることができなかったということだと思う。
そんなこと、心の底から望む人などいるのだろうか?
少なくとも、僕は望まない。
そんな時間を過ごしたくなくて、何もないところからもう一度自分を見つめたくて、5年前に上京してきた。
↑上京して参加したセッション。セッション歴3日。池袋Absolute Blueさん。
発明だったり新しい解釈だったり文化だったりが生まれる要因の一つに、「抑圧」が存在すると思う。
抑圧や制限、差別や拘束などというものが「自由」の定義に必要であることも十分に理解はしてあるつもりだが、「人の命を守るため」に、適切な行動や行為を行えなくなるのもまた人の性である。
正しい行為ではない。「適切」な行為である。
正しさを理由にしているうちは、盲目になり不幸を被る層がどうしても存在してしまう。
正しさなど、誰も定義できないのだ。
音楽をする喜びやありがたさは、この二年で痛感した。
2020.3にワンマンライブを動かし、それから運休状態。
7月にコンピレーションアルバムのレコ発があったときは、心の火が消えかかっていることを認識した。
そこから、秋頃にシンガーソングライターの友人である堀江美帆氏から、増尾好秋さんのレコーディングの話をもらうまでは、多分僕は荒れに荒れていた。
あのレコーディングがあって、メディアスタイリストさんにお声がけいただいて、今年のレコーディングが動き出した。
↑増尾さんが陣頭指揮を取るレコーディング。このときに録った音が、ライブ映像と重なる。
↑写真は、ドラムやパーカッションのサポートでお世話になっている矢崎良子氏が撮影してくれた。
2021.3、イベンターの本間さんに誘っていただいた対バンが、今年の音楽活動の軸になった。
緊急事態宣言について、何度重ねたか正確に説明できる国民はどれだけいるのかわからないが、低空飛行をやらざるを得ない状況の中、こんなにも場を提供してくれたライブハウスはなかった。
こうして僕は、人に救われた。
そして、僕の中に内在する「音楽」に救われた。
生き抜くための思考を重ねたとて、光は始めからそこにしかなかったのだ。
何を大袈裟なと思うかもしれないが、何か事業をやろう、じゃあ試しに音楽をやってみるか、みたいな動機で音楽を始めたわけではない。
そもそも僕にとっての希望は、東京に来る時点でこれから大きくなるであろう僕の内側にある衝動だけだった。
まるで、未来永劫完成しないサグラダファミリアのような存在。
現時点では不恰好でも、少なくとも僕はワクワクするし、興奮する。
そして今は、大切にしようと思う人が隣にいる。
(まだかっこいい形にはなっていないかもしれないが)
自分が生きるモチベーションの核は、その二つだ。
その大切な人も、音楽と人の縁が運んできてくれた。
改めて背筋が伸びた思いである。
いかに人に支えられているか。
大切な人を大切にすることができると信じなければ、僕は先へ進めないことはよくわかっている。
世間ではアフターコロナだのウィズコロナだの、これからを指し示す言葉が存在しているが、この先を生きていく準備が、どうやら2021で出来てきたらしい。
心構えも含めて。
2022.3、僕にとって非常に重要なライブを敢行する。
どうか、見届けていただけると嬉しい。
そのエネルギーが、皆さんにとって何かのきっかけになるものと信じて、強い気持ちで準備を進めている。
詳細は、追って告知させていただければと存ずる。
この場をお借りして、2021年お世話になったすべての人に感謝申し上げたい。
2021.12.31 モリタクロウ