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移民によって変わった英国の暮らし!移民は英国に何をもたらしたのか?

2017.09.04 06:00

実は20世紀の英国において移民という意識は民衆にあまり浸透していませんでした。あったのは白人とその他の種族という価値観のみでした。そのため移民に対して特別な感情を抱いていなかった英国でしたが、2016年6月23日のEUからの離脱投票の際にはたびたび移民の存在が話題になるようになりました。20年足らずのうちに英国に何があったのでしょうか?今回はそれを解説していきたいと思います。

ブレア政権によって増加した移民

英国はブレア政権時に移民に関して大きく方針転換しています。その原因は情報技術の発達によって国際的に人材競争が行われていたためです。英国も経済発展のためには少しでも優秀な人材を海外から受け入れたいと考えるようになり、移民受入の緩和を行いました。そして2001年当時に移民の受入のために行われていたのが以下の方法です。

「高度技能移民プログラム(HSMP)」

英国に移民として受け入れるためには以下の5つの条件を満たさなければなりませんでした。

① 学歴

② 職歴

③ 過去の収入

④ 就労希望分野での実績

⑤ 一般開業医(GP)特別開放枠

※⑤は国家保健サービス(NHS)の一般開業医(GP)としての就労を希望する海外の医師を招致するための特別枠

そして経済移民が合法化され、移民がカテゴリー別に分類されました。このカテゴリー別に発行される就労許可証が異なっていたのです。それは、今まで違法に就労していた移民を合法化するという目的も含まれていました。

第1カテゴリー:大卒者、医師免許所持者など高い技能を有するもの。年間5000~1万人

第2カテゴリー:英国に留学中の大卒者、大学院生に国内での求職活動の許可

第3カテゴリー:配膳や建設など労働力が不足している業種で、求職が許可された外国人労働者

第4カテゴリー:未熟練の季節労働者。最高で1万5000人の入国を許可するが、一時的就労証しか発行しない

この制度が制定された当時は受入られた外国人も雇用法の対象になっていました。その結果、それまで年間2万人程度だった移民が2000年~2001年にかけて約15万人に増加したのです。出身地別にみると

①オーストラリア

②フランス

③南アフリカ

となるわけですが、取り合分けこの時に増加したのはアジアからの移民でした。アジアからの移民が全体の4分の1を占めるまでとなり、これがのちに就労に言語の条件を課せられるきっかけとなります。

また、この時に入ってきた8割は35歳以下の若い労働者でした。そのため、当時の政府の移民への認識は英国の経済発展に貢献する存在でした。





EUの東方拡大をきっかけに変わりゆく英国

EUの東方拡大当時、東方からの移民への就労制限を設けなかった国は英国以外はスウェーデンとアイルランドだけでした。おそらく、当時の英国は他の国も制限を設けずに市場を開放すると考えていて、その目論見が外れたということでしょう。

その結果、当初の予想では5000~1万3000人程度と考えられていた移民が約9万8000人とその10倍近く流入してくることになります。

 労働政策研究・研究機構「海外労働情報」『独立行政法人労働政策研究・研修機構ウェブサイト(http://www.jil.go.jp/foreign/index.html)より



当時、イギリスはいったん受け入れた外国人は公平に扱うべきであるという考え方を持っていましたが、この事態には頭を抱えました。しかし、当時は人手不足の分野の職業の人手不足解消への期待が大きく、政府は移民が経済に大きく貢献したとの見解を公に発表しています。しかし、国民の認識とはこの当時から齟齬が生じ始めていました。政府の国民からの移民の受入れ制限に反論する理由は以下の通りです。


① EUからの移民労働者の割合は全英国労働者のわずか0.3%ほどである

② 登録労働者の45%が違法労働者だったものが合法化する目的で登録制度を利用したものである

③ 季節労働者などの一時的滞在者の多くがすでに帰国している

④ 東欧からの労働者が9月までの5ヶ月間に同国GDPに1億2000ポンド、税収入および国民保険財源として2000ポンド貢献したという試算あり


当時1ヶ月以上被雇用者として働く場合は内務省所管の「労働者登録計画(The Worker Registration Scheme)」によって管理されていたので、この試算は事実に近いでしょう。しかし、④においては確かなデータとはいえないと私は考えています。移民は世界各地から来ているため、移民のために設備を整えたり、言語の対応が出来るようなサービスを行政は対応しなければならなくなります。そうした、行政が負担した部分についての記載が成されていないため、移民が本当に経済的に貢献する存在であるとは言えないと私は考えます。


また、皆さんは2005年に起きたロンドンの地下鉄爆破テロを覚えているでしょうか?

これは時期的にもEUの東方拡大後に移民が大量に入ってきていた時期と重なります。こうした治安の悪化も英国住民にとって移民が自らの生活を脅かす存在として認識されていった一員であると考えられます。




移民に対する制限を高める政策を始める政府

地下鉄爆破テロを受けてか政府は2005年~2007年にかけて非熟練労働者の受け入れを制限しようとする動きを見せ始めます。

それが入国管理5カ年計画です。英国の求人なしで入国できる移民を高度熟練労働者のみに制限するという方針に転換したのです。非熟練労働者に関しては5年間かけて段階的に廃止していくという事になりました。

また、それと同時にポイント制を導入することになりました。高度熟練労働者であってもこのポイントを満たさなければ認められません。しかし、5年間英国で就労後に語学力、市民試験合格すれば家族と共に定住が許可されました。


また、移民の分類を単純化していったのもこのあたりです。それまでは移民の分類は細かく分けて80以上にも上り、非常に面倒臭いものでした。それが制度そのものの複雑化を招いていたことから5つにまで減らし、単純化することにしたのです。

 第一区分:英国に貢献する高技能者

 第二区分:英国で不足している技能を持つ者

 第三区分特定の低技能労働者

 第四区分:学生

 第五区分:一時就労、青年派遣、文化交流

更に人材不足の分野の職業を特定するための機関を設立し、的確にどの分野の職業でどのくらいの人数の求人が必要とされているのか特定できるようにしました。そうすることでどの分野で外国人労働者を受け入れなければならないのか把握し、過剰な流入を防ぐことが出来ると考えたのです。

また、当時の政府の移民に対する態度はとても矛盾したものでした。経済的貢献を評価する一方で国境警備の強化、移民法改正などの規制への動きを行っていたのです。


リーマンショックを期にますます厳しくなる移民の環境

リーマンショックで失業率が上昇した英国は、英国人を優先に職を割り振る政策を全面的に推し始めました。そのため、移民の受入れを制限する為に様々な政策を展開していきます。

①移民労働者の受け入れ職種制限

政府は19の職種・グループの人手不足分野を発表し、その職種・グループの移民のみを受け入れることとしました。かつて高度熟練労働者のみに限られていたので受入の幅自体は広がっているのですが、賃金水準条件などを厳格化しています。また、人手不足を補う分だけなので、受け入れる人数自体も増えているわけではありません。

その背景として英国国内の英国人の就労者が15万人減っている事に対し、外国人労働者の数は6万人増加(EU域内労働者は4000人減)していることにありました。更に、失業率は7.3%にまで悪化し、前年比2%減しています。そうした状況を英国人が不満に思わない訳はありません。むしろ、移民に仕事が奪われていると感じるのも仕方がないと言わざるを得ません。


更に当時移民の受入れ緩和から10年ほどしかたっていないにもかかわらず、イングランドとウェールズ地方の住民の移民が占める割合が大きくなっていました。そのような急激な変化に昔からその土地に住む人々が快く思うはずもありません。人々は移民への不満を募らせていきました。

ちなみにイングランド及びウェールズの人口増加の370万人のうち270万人(55%)が移民流入によるものです。

 インド及びパキスタン:69万4000人、48万2000人(01年比1.5倍)

 ポーランド:57万9000人(01年比10倍)

ポーランド人が増えているところを見ると、明らかに東方拡大時に市場開放に制限をかけなかったというところに理由があるということが解ります。そのため英国はA2(ブルガリアとルーマニア)の拡大時には制限をかけることにしました。



A2への対応からわかる移民への不安の高まり

英国はA2の加盟が決まった時には市場を開放せず、制限を設けることにしました。そのため、期限である7年をかけて制限を緩めていくという他国と同じ方針をとることにしたのです。そのため、それまでの間はA2の国民は域外移民と同じ条件での受入れとなりました。それが以下の通りです。

 EU圏域外の国民が英国で就労を行う際の枠組(2006年時点)

⇒2005年に受け入れた人数は1万人

【内訳】

 就労許可(Work Permit):1700人

 高度技能移民プログラム(HPMP):100人

 職業別割当計画(SBS):2114人

 季節職業等労働者制度(SAWS):6033人

ただしA2出身者ははSBSとSAWSの枠を優先的に割り振ることでEU市民であるという特別待遇ということにしました。


この対応は当時の国民の世論を反映した結果であるともいえます。A2加盟の時に英国のフィナンシャルタイムスの世論調査では以下のような結果が出ています。

 移民は経済に悪影響を与えている:50%

 A2からの移民がイギリス経済に打撃を与える:46%


このように英国ではEU市民という枠であっても移民という認識であり、それらが自分たちに脅威を招く存在であるとして認識されていたのです。そうした国民の不満や不安を政府がきちんと拾っていく事が出来なかったため、今回の離脱投票へと繋がっていってしまったのではないでしょうか。

実際に離脱投票前には域外移民は減っていたものの、EU域内からの移民は増加していました。2013年にA2 への制限が撤廃されて英国に流入してくるということも危機感をあおっていたのかもしれません。

そのため、英国政府はEU市民に対しても社会保障の制限を設けるなどの対策を行いましたが、既に国民たちの移民への不満は最高潮にまで達していたのでしょう。僅差ではありましたが離脱派が勝利してしまいました。



まとめ

私たちも10年のうちに周囲が外国人だらけの環境になることを想像してみましょう。いきなり変化した環境にあなたは耐えられますか?


たしかにEUからの離脱派感情的になり過ぎだと言えますし、離脱したからと言って解決する問題ではないでしょう。しかし、どんなに政府に訴えても改善されなかった移民問題に対して国民は反発したかったのではないでしょうか?


日本もかつて自民党から民主党に政権交代することで良くなるのではないかと希望を持ちました。しかし、結果は皆さんのご存知の通りです。

英国は2019年3月まで交渉の猶予が与えられています。しかし、それまでに自国の立場をきちんと確立しなければ今後の国際的立場が危うくなるでしょう。今後の英国に待っているのは英国化破滅か。それはEUという共同体の在り方が本当に良いのかどうかという結論にも繋がるのではないでしょうか。

日本も現在外国人労働者を受け入れることに積極的になっています。しかし、あまりに急激に受け入れ過ぎれば英国の二の舞です。私たちはきちんと英国の前例をきちんと学んだうえで慎重に物事を決めていく必要があるのではないでしょうか。

そもそも日本には移民を専門にあつかう機関すらありません。そのような状況で本当に外国人労働者を受け入れる事が出来るのか。私は甚だ疑問に感じざるを得ません。